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2007/10/08

暴走老人?

 最近老人がキレやすいという話しを聞く。そういえば自分もキレやすくなったかな(いやもともとその傾向があった)と思っていたところに、ちょっとしたきっかけがあった。そんなことで、藤原智美「暴走老人!」(文芸春秋社、07年8月刊)という本を読んでみたのでそれを話題に書いてみる。書いているうちに長くなったので、今回は読むきっけになったちょっとしたことについて。この本についての感想は次回。そこでは、書かれていることは、だいぶ違うんじゃないか、という話になろう。そして次々回に、じゃあ自分はどう考えるかを書くことにする。それほど熱をこめて書くほどのことでもないのだが、最後までまとめきれていないので。

 きっかけとは、こんなことだった。先日書店へパートナーのみやと一緒に行ったときのこと、話題本としてまとめて横積みになった本の列から、みやがこの本をピックアップして、これどう?と私に見せた。どうやら、私に暴走(キレる)傾向があると日頃から思っていて、ちょうどいい本だ、読んでみたら、というわけだ。歯牙にも掛けなかった。若者よりむしろ大人の方がキレるようになったことを、先日NHKの番組でも取り上げていた。社会現象としてはそういうこともあるだろう。だけど、そんな本を読むひまがあったら、もっと読みたい本があるよと。

 その直後にこんなことがあった。住んでいる静かな住宅地に大音声の宣伝車が入ってきた。遠くで聞こえていたものがだんだん近づいてくる。なにやら「母親大会」や憲法成立に関する映画会の宣伝をしているようだ。この種の車は不要品の引き取りや青森リンゴなど、よくやってくるから慣れっこだが、この日の宣伝カーはしつこかった。住宅地をメッシュ状に走る道をこまめに行ったり来たりしているようだ。しかもとてもゆっくりと車を走らせながら、大音声を流している。我が家の前に来たところで車を止めて、さきほどから聞こえている会合の知らせを何度も何度も繰り返す。みやの織工房にしている離れの前だ。長い時間、織りに集中していたみやが工房のガラス戸をがらりと開けて、フェンス越しに目の前にいた車に向かって「うるさい!」と怒鳴った。途端にテープを止め、車はすごすごと立ち去った。住宅地のはずれまで行ってからまたテープを流し始めたようだったが、もう音は遠かった。

 ほう、みやも、キレるではないか。感心した。なんだかうれしくなった。考えてみると、この人はこのところさまざまなことについて、許容できる幅が狭くなった。我慢しなくなった。そんな気がする。この場合、場所も悪かった。みやの工房は住宅前の道路に面している。私は奥の書斎にいた。もし逆に私の書斎の面した道のほうに宣伝車が停まり、大音声を繰り返したら、私も窓を開け「うるさい」と一喝したことだろう。このところ道理をわきまえないヤツが多く、腹の立つことも多い。私も何かとキレる寸前まで行く。うん、やはりあの本に何が書いてあるか、気になるな。そんなきっかけで、改めて書店にこの本を買いに行った。

 さて、読んでどうだったか。それは次回。結論だけから言えば、おすすめできない。買わずに次回エントリを待たれよ。

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コメント

こんにちは。ブログに直接コメントを差し上げるのは初めてになります。

極端な例の「キレる」(例えば殺人事件など)は別にして、日常生活の中で「キレる」場面が増えてきているのではないか? という感想は、何も年配の方々に限ったことではなく、どの年齢層にも当てはまる現象のような気がします。少なくとも、私自身(まだ40歳になったばかり)は「キレないように」と自制に努力を要する場面が増えたように思います。

ひとつ身勝手な前提を置きましょう。アクさんも、奥様も、私も、昔流の「普通」な者である、と。

その上で、私が思うに、世の中の個々人の振る舞いが良い意味でも悪い意味でも非常にバリエーションが広がり、個々人の間で利害が衝突する機会が急に増えているのではないでしょうか? 利害の衝突を避けるためのニュートラルな空間、「余裕」とでも申しましょうか、それが急に狭くなってきているように思います。

こうなると、「普通」な我々であっても、利害の衝突に巻き込まれる機会は大幅に増えるように思います。昔なら、社会に、このような衝突を避けるべし、という不文律があって、個々人が振る舞いを自己規制して、うまく「余裕」を作っていたと思うのですが・・・。

私の中では、このことを「マナー」と定義しています。

結論として、年配の方々がキレやすくなったのではなく、若い世代で構成される社会にマナーがなさすぎる、年配の方々が心地よく(利害の衝突なしに)暮らせる空間が狭くなってきているのだと思うのです。私は奥様の許容範囲が絶対的に狭くなったとは到底思えないのです。普通、歳を加えれば許容範囲は増える方向だと思うのですが・・・。逆にマナーの悪化が酷すぎて、相対的に許容できる範囲が狭くなっているのではないでしょうか?

最近電車通勤をするようになって、ひしひしと「空間的」な狭さを実感する今日この頃です。

投稿: けんた | 2007/10/08 11:34

けんたさん

コメント書き込みありがとうございます。

お書きになった、個々人の間で利害が衝突する機会が増えてきた、それは世代によるものでない、おっしゃる通りでしょう。

「マナー」についての新旧世代の感じ方のずれ、「空間的な」狭さの実感なども分かります。続編で、取り上げた本に書かれていること、それへの私の感想なども書きますので、よろしければ、またコメントください。

年齢とともに、成熟した、おだやかな、調和的な心境になるかというと、必ずしもそうではないのです。年とともに頑固になるということもいわれているでしょう。物わかりよくなる面と、逆に悪くなる面と、それが並行して進むのですね。歳とともに。

投稿: アク | 2007/10/08 15:02

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