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2007/10/11

新老人vs.旧老人(暴走老人?その3)

 二つ前のエントリで予告してしまったので「暴走老人」について私の考えをまとめてみようと、あれこれ書いてみたが、気に入らない。誰でもがいいそうな月並みなことしか書けていない。それを載せることは止めにして、別のことを書くことにした。これも特に新味があるわけではないが、われわれ世代の老人にとっては、これから深刻な問題となるかもしれない。そんな予感がすることを取り上げてみる。

 藤原智美(前の二つのエントリ参照)は、暴走する老人に「新老人」という言葉を使った。私は別の意味の「新老人」がこれから出現し、老人の世界がこれまでの「旧老人」だけのそれから、大きな変化を遂げるのではないかと予測する。「旧老人」にとっておそるべき「新老人」の登場である。それはすでに2007年問題として話題になっていることの一側面といえる。2007年(今年のことだ)から始まって、いわゆる団塊世代が大量に定年退職する。それにともない、さまざまな社会経済的な問題が出現する。主として企業での年齢構成変動や技術継承、多額の退職金の金融面への影響、政府における社会保障支出の増大、新需要の創出などが問題とされている。私たち、すでに退職生活に入っているものにとって身近な問題としては、新しい大量の退職者群が、いわば新「遊民」として、われわれ旧「遊民」の世界に入ってくるということだ。彼らはさまざまな場に現れはじめ、圧倒的エネルギーと数とで、これまでの老人社会を変えていくのではないか。それはきっとわれわれ旧老人にとって、脅威となってくるだろう。

 これが私の予想する、新・旧老人問題である。新と旧の境目は、戦争時と戦後の窮乏期を経験しているかどうか、である。大雑把にいって1945年以前生まれと以後生まれで分けていいだろう。

私が退職した頃 私が退職後の生活にはいり、どんな感想を持ったかを、当時のHPに書き残してある(「仕事を辞めてから」)。その中の「退職は新鮮な体験」では、週日に町に出たり、本屋に行ったとき、ひと気の少ない落ち着いた雰囲気を存分に楽しめるうれしさを書いている。しかし、それから6年あまり。最近ではだいぶ変わってきたことを感じる。私の生活圏で、私にとって身近なことで気づくことを書き並べてみよう。

書店 大型書店の充実が目立つ。よく行く新宿には、大型書店が充実している。特に旧三越デパート新宿店にジュンク堂が進出してもう3年になるだろうか。他店が撤退したこともあって、当初の2フロアが、3フロアに増えたが、当然そのぐらいスペースがあっておかしくないほど充実した品揃えである。本棚のわきには椅子があって、ゆっくり座って読める。テーブルに座るスペースもある。別にシニアとは限らないが、じっくり良い本を選びたい、時間にゆとりのある読書人向きの本屋である。開店してしばらくは、週日は比較的空いていた。それがこのところいついっても賑わっている。これからますます週日の昼間、来店する人々が増えていくことだろう。私の地元水戸ではかつての大きな書店が倒産したり、本店を閉鎖したりと、恵まれない状態だった。最近、自宅近くの県庁敷地にある書店がずいぶん充実してきた。売り場面積も広がった。ここでも座り読みコーナーを設けて、ゆっくり選書する便宜を図っている。アマゾンなどネット販売を利用することが多いが、やはり本は目次や「あとがき」を読み、本文をパラパラと拾い読みしたうえで選びたい。こうした大型書店が充実してきたのは、たぶんこれから退職後の余暇を読書に使う新老人が増えることを予想してのことだろう。

図書館で 一週おきに出かけることにしている公立図書館でも、ここ数年、老人たちが増えてきた。時間をもてあましているのか、何をすることもなく座り込んだり、居眠りしている老人もいるが、それぞれ目的を持って調べものに来ている人もいる。貸し出しも増えていて、窓口にはいつも長い列ができている。新刊のベストセラーを借り出す人が多く、図書館のほうでも人気のある本はたくさんの部数を用意している。コピー機を使おうとして、待たされることもある。もう2,3年もすれば、図書館の様子はさらに様変わりするだろう。いま居眠りしている旧老人たちには居づらい場所になるに違いない。

公園その他でも 公園に行けば、元気のいい新老人がせっせと歩いている。ジョギングをする人もいる。私は行かないが、スポーツ・ジムやプールなどでも、元気のいい老人たちが増えていることだろう。ショッピング・センター、繁華街、美術館、観光地なども、これから週末に限らず人出が多くなるのではないか。退職世代は、週末を自宅で過ごし、週日にそのような場所に出かけるのだ。これからはあらゆる場所が、週日だから閑散としていて、老人にとっては居心地がいいなどということはなくなり、旧老人と新老人がせめぎ合い、前者が後者に圧倒されていく場となっていくのだろう。

海外旅行ツアー 海外旅行ツアーも様子が変わってくるだろう。これまでも夫婦での参加はあったが、けっこう目立ったのは、夫をなくしたご婦人たちである。これからは、元気のいい新老人のカップルが増えてくるだろう。旅行社も対応を考えているだろうが、秘境とか、わりとハードな旅行先でも需要が増える。まごまごすると予約を入れそこなったり、これまで少人数で成り立っていたツアーが、大人数参加のツアーになる。やっと日程をこなせるレベルの旧老人層は、元気のいい新老人中心の旅についていけず、脱落していく。そんな近未来が予想される。すでにある程度そうなっているが、旧老人層に好まれる旅行社と、新老人向きの旅行社を、ツアー客が選別するようになるだろう。

ツアーの変化 団塊の世代はいろいろな特徴があるようだ。活発で自己主張の強い個性的な人たちが多いのではないか。これまでの老人ほどおとなしくはない。あれこれと注文は多く、統率に必ずしも従わず、自分勝手をしたがるツアー客が増え、添乗員たちをますます苦労させるようになろう。いや、反省してみると、この点では私は新老人に近いかもしれない。私のような客ばかりとなったら、ツアーはどうなるか、想像するだに恐ろしい。

ランティエたり得るか 新老人の、特に男性に警告しておこう。老後の生活をどれだけ豊かな気持で過ごせるか。それは第2の人生にどう立ち向かうかにかかっている。団塊の世代は「仕事人間」が多いのだろう。仕事がなくなった途端、何もすることがない、何をしていいか分からない。それでは駄目だろう。団塊の世代の奥様方は、けっこう自立して自分好みの何かをすることで時間を充実して過ごしてきている。毎日自宅にいるという生活になったとき、奥様方には単なるお荷物扱いされないように、自分なりの充実した生活を持たなければならない。ある意味、これまでの生活はいわば自分を会社に提供していた時期である。そして今、全部の時間を自分のために使える時期がやってきたのである。自分の生活の主人にはじめてなれたのである。ランティエ(フランス語:rentier)という身分がかつてあった。資産運用の利息だけで、働かずして生活できる裕福な階層のことである。近代初期には、そのような身分の人たちによって、学芸や科学などが担われ、発展した。ある意味で退職者は、やっとランティエの身分となり、自由に好きなことができるのだ。べつに何か世の中に役に立つことをやる必要はない。好きなことを、好きなように、いくらでもやったらいい。

 旧老人、あるいはその一部の人々は、そのようなランティエ的あり方を修得してきた。新老人はランティエたる覚悟ができているか。なりゆきを見守りたい。

おめでたい話なのだ 最後にひとこと。ここまで書いてきた新老人対旧老人など、なんともおめでたい話だということも分かっている。そのような話題のレベルにない高齢者が多くいる。新旧を問わず、老人の間の格差は非常に大きい。ますます大きくなるだろう。職を失うとともに最低の生活を余儀なくされる高齢者家族が多く輩出する。生涯そこそこのサラリーマン生活をしてきた退職者は、まずまずの年金がある。蓄えもあるだろう。しかし月7万円に満たない国民年金だけで、生活せざるを得ないような人々も多数いるだろう。臨時雇いを生涯続けてきたような人、自営業が成り立たなくなり店を閉めた人、未納ゆえの無年金者もかなりいるだろう。医療・介護面での格差とか、老齢のホームレスとか、増える自殺者とか。旧老人が新老人を脅威などというどころの話ではない。

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コメント

アクさん

アクさんは、この本を買ったことを少しだけ後悔しているかもしれません。
でも、老人をこのように分析するチャンスにはなりましたね。
私自身を思わず考えてしまいましたが、どちらか問はれれば、旧老人ですが、パソコン、携帯はほほこなせます。

でも、スターバックスでの注文の仕方はわかりません。
ただし、それだけで旧老人というのも、何ですねえ。

やや軽薄です。スターバックスと言えば、私の通っている大学病院にもありますよ。
正面玄関を入ってすぐの広場にあります。どうってことないですが、病院の経営者に感心しております。

私は、老人が切れるのは、若者が悪いのだと思っています。奥様のような出来た方でも、時に爆発するのですから、若者が悪いから切れるのだと、確信してます。

何故、きれるかというと、本当はその前に注意をするという事が、今は出来ないからでしょう。

電車の中でも時々ひどい高校生をみます。誰も怖いから注意しません。そういうものが、たまった上できれるのでしょう。

新でも旧でもないけれども、若者よ、もう少し老人を敬えと、言いたいです。

投稿: 美千代 | 2007/10/12 17:02

美千代さん

3編にわたる長いものを読んでいただいてありがとうございます。

キレるのは、自分の生活感・倫理感と、他者(特に若者)の生活感・ミーイズムとの対立が顕わになって起きるのでしょう。私は、何が正しいかは、相対的で、時代とともに変わるのだ、という考えですから、それをまともに論じる気がなくなり、「その3」の方向を変えてみたのでした。

「旧老人」は若者に向かって怒りたくなる。たまには怒って見せたほうがいいかとも思う。でも怒ったところでどうにもならない。私のいう「新老人」はその点、賢いと思います。

投稿: アク | 2007/10/13 08:33

>美千代さん

中村と申します。

私は37歳の若造ですから、無意識の内に年配の方々をキレさせているのかもしれませんが、周囲を見ていると「悪い」という定義(これもよく分からない定義ですが)と「年齢」とは目立った相関は見受けられないと思っています。

キレる前に一度、自分の行いを振り返ってはいかがでしょうか?と意地悪を承知で言いたくなる年配の方々を見かける機会は多いです。

また、お年寄りを敬えといった意見も耳にしますが、他人から敬っていただけるほどのご立派な存在なのでしょうか?とも思いますし、敬って欲しいのなら、それだけの功績を残されてはいかがでしょうか?

単純に年齢が上というだけで、無条件に敬ってもらえるというのは少々虫が良すぎるのではありませんか?

本来、年配を敬うのは、実際に年齢が上であることが有能さの現れであることから来た言葉であるはずですが違いますかね。私は技術者としての父は、敬うどころか尊敬すらしていますが、それは優秀な技術者だからですよ。

本当に素晴らしい人物であれば、敬うことについてやぶさかではない人物は年齢に関わらずいるのでは?

投稿: 中村智晃 | 2007/10/14 11:55

中村様

私への呼びかけと思いまして、書かせていただきますが。

その前に質問させてからではどうでしょうか?

まず、中村様が素晴らしい人物と思う方はどういう方でしょうか?

そこが分からないと、かけませんから。


一口に敬うといっても、admire,respect,honor.

ニュアンスが違うでしょう。まあ、私は広い意味でhonorという英語を当てたいですね。

投稿: 美千代 | 2007/10/15 11:44

先週末、妻のご両親が上海に。

齢60前半で退職したばかり、国内航空会社のツアーを利用して高くついただろうなぁと思いきや、何件も他の旅行社をまわったりいろいろ比較して、現地からみる最低価格と同程度なツアーのアレンジをご自分で組み立てておられました。

退職後、外に出るのが億劫でやることがなくなるのを心配していたのですが、積極的に他の国へも出かけるみたいです。以前ずっと社長業で周りが接待させようとしてたみたいですが、自分を律していた方です。いま本当に楽しんでいるようで何より。

義父は戦後ちょうど生まれではありますが、ご家庭の教育がよかったので戦前の礼儀作法を継承している方だと思います。年代で分けるのはちょっと乱暴ですよね。

投稿: mcs | 2007/10/15 18:07

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