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2007/11/04

九州への旅(2)  限界集落?

071104hakusuidam
 【竹田市で訪れた白水溜池堰堤、流れ落ちる水の美しさに見ほれた】

 大分県竹田市に裂織作家を訪ねた。パートナーが全国裂織協会のニュース紙に「裂織人を訪ねて」を連載している。その取材のためであった。竹田市○○とある住所を頼りに大分市からレンタカーを走らせた。カーナビが頼りだったが、指示してくれたルートを行くと、今夏九州地方を襲った台風のため、路床が崩落して通行止めになっていた。そこからの迂回路を見つけるのに苦労した。道路地図を入手してドライブすべきだった。今回以外使うことがないだろうと見送ったのだ。大分で車を借りるとき、カーナビに不慣れだったので、竹田までのルートをカーナビに入力してもらった。レンタカーの会社がこのような通行止め情報を知らないようでは困る。私は遠回りしても主要幹線路を行きたいと言ったのに、こちらのルートで大丈夫です、最短で行けますよと、わざわざ奨めてくれたのだ。

 訪ねる場所は、岡城址などのある竹田市の中心部からだいぶ外れているらしい。そこまでのルートは、簡単な手書きの地図をもらっていた。57号線から入り、途中、小学校、トンネル、赤い橋などなどを辿り、鉄工所の角を左折すると最初の家だという。このルートマップをもらって頭に描いていた距離感とじっさい走った距離の違いに驚いた。目印になる地点から次の地点までの距離が考えていたよりずっと遠い。いくら走っても次の目印が出てこないので、道を間違えたかと思うころやっと次が出てくる。その間は田畑、ススキの原、杉林などが連なる。家はぽつりぽつりと散在している。道路はよく舗装されているが、交通はほとんどない。鉄工所らしき家の角を左折する。すぐと思ったが、5分以上走っても家は見えてこない。これまた間違えたかと思ったころ、杉林に囲まれた家が道路から少し高い位置に見えてきた。あれかなと車を急勾配の導入路に入れて登っていくと、そうだった。

 このあたりは竹田市でも宮崎県との県境・祖母山に近い地域で、いわゆる山村である。日本中どこでも見かける山村の一つだろうが、これほど人里離れた感じを持ったのはここが初めてだった。パートナーはさっそくこちらの主婦のY子さんにインタビューをはじめる。関心事の一つは、なぜこんな場所に住み着いて織りをしているかであった。この人にしても、陶芸家の夫にしてもこの地の人ではない。大阪から来て、陶器を焼く窯を築く適地を探し、ここに住むことにして15年経つという。この山村で2カ所目の住居だという。最初の窯を築いた場所はそのまま残し、現在の場所に移ってきた。耕作放棄の田圃を買ったら、この家が付いていて、ここに住むことにしたという。近くの林を切り開いたところに今第2の窯を築いている。その場所も見に行ったが広い場所だ。今は捨て値といっていい価格で土地が手にはいるらしい。群れることを好まず、ひとり自分なりに満足のいく器造りに集中するには、このような場所がいいという。途方もなく明るく楽天的なY子さんは、夫の意志に沿い、この場所に住み、機を織り、製品を売ることで、夫を支えている。

 日本中どこでもそうだが、ここでも後継ぎがなく、年寄りだけで辛うじて農業を続けていて、もう持ちこたえられなくなったと離農する人が増えている。竹田市の公式ホームページを見ると、竹田市の人口は05年で26,534人、最も多かった1955年の60,022人から大幅減になっている。地域(かつて独立した村だった部分)ごとの人口の年齢構成の統計もでているが、私たちが訪ねたM地域や、その夜泊まった宿泊施設のあるU地域などでは、年齢別人口は70台が一番多く、10歳未満や10代は、ほんのわずか(20歳未満は7、8%)しかいない。宿のおかみさんの話では、若いころは地域ごとに小学校があり、各地域とも数百人の生徒がいた。今では地域ごとの小学校は維持できなくなり、三つぐらいの地域をまとめて一つの小学校にしているが、それでも全校生徒は40人程度。複式学級だという。生徒たちは市教育委員会借り上げのジャンボタクシーで送迎している。先ほどのルートマップの目印に旧○○小学校とか、旧○○中学校とかがあった。みな廃校になったものだ。

 話の中で「限界集落」という言葉を聞いた。高齢者(65歳以上)が人口の半数以上を占める集落をそのように呼ぶようだ。その状態になると、村落共同体としての機能を維持する限界に達するという。その先は「消滅集落」が待っている。「無住化危惧集落」という言葉もあるようだ。06年に国土交通省が行った調査によると、全国で7873集落(全集落の12.6%)あるという。竹田市にはそのような集落が多いらしい。竹田市民の平均年齢は67.4歳であるという。全地域を平均化するとすでに全市が限界集落になっている。ネットで見かけた記事には、竹田市の人口が30年には、05年の半分になってしまうとの予測が書いてある。

 この日の夜は、Y子さんの家から一山越えたところにある「森の宿泊レストラン・サリモス」に泊まった。長年この地に住み、最近では合鴨農法を取り入れて米作を続けている農家が副業として経営している。裏山にログハウスを建て、自家製の無農薬野菜などを主とする洋食レストランを営み、宿泊場所を提供しているものだ。森に囲まれたログハウスには、広々としたロビーやベランダがあり、すでに薪ストーブに火が入り、とても気持のいい時間が過ごせた。宿泊の部屋も洋式でよく調えられている。神戸から招いたシェフに習い覚えたというおかみさんお手製の料理は、実質的でおいしい。こんなひなびた場所でこれだけのお料理でもてなされるなど期待していなかった。この日泊まったのは私たちだけで、さびしかったが、手芸品の販売をしたり、さまざまな催し物に場所を提供したりして、お客さんを招き寄せる努力をしているようだ。この経営者は自力で工夫して、過疎化・限界集落化に対応しようとしている。おかみさんは、さいわい次の代が継いでいく気になってくれたとうれしそうに話していた。まだはじめて1年だという。うまく続けてほしいものだ。

 限界集落は、日本政府の農業政策の失敗を露わにしている。政府の補助に依りすがった地方や農業団体のあり方、それに農家自身にも問題があったのだろう。いかにして限界集落化を免れるか。即効薬などありそうにない。地域ごとの、あるいは個々の農家の企業者としての自立に向けての工夫が必要だろう。後継ぎが都会に出ていってしまってはいずれ離農しかない。農業とその周辺で、若い人たちが生きがいを感じ、農業を担い続けようという気になる何かをそれぞれが見いださない限り、限界集落化の勢いは止まらないだろう。先のY子さん夫婦のように、都会から移住してくる人を歓迎する仕組みもいるだろう。じっさいそれを助ける方策はどの地方でも進んでいるようだ。空き家になった農家、農地の斡旋などの話題はよく耳にする。しかしそれがどれだけ人口の都市への移動を食い止めるだろうか。農業を営むことも、過疎地に住むことも容易でない。もっと日本人全体で考えなければならないことだろう。

 今回垣間見た地方の限界集落化は、すさまじいほどのものだ。人々がどんどん都会に集まり、地方の集落はほとんどすべて限界に達し、あるものは無住化するという未来図は、日本にとっていいものではない。どうすればいいのか都会に住むものも一緒に案じる必要があるようだ。ヨーロッパへ行ってみると、どの国でも、地方が豊かなのを見る。若者たちは喜んで家業を継ぎ、満足げに働いている。日本はどうしてこうなってしまったのか。暗澹とした気持になる。

 翌朝、竹田で美しい水を見た。竹田では湧水も有名だが、私たちが見たのは白水溜池堰堤(はくすいためいけえんてい)から流れ落ちる水の美しさである。灌漑用のダムとして1938年に建てられたものだ。今では国の重要文化財に指定されている。日本一美しいダムともいわれているが、ダムの定義は堤高が15メートルを超えるものとなっていて、それにわずかに達していないため、堰堤と呼ばれる。落ち口を下で絞る必要があるらしく、左側は石を積んで曲面で絞り、右側は階段状に絞っている。その様が見事である。斜面を落ちる薄い水の膜は、砕けて美しい波頭を見せる。いつまで見ていても見飽きない。この溜池の右側は、前日訪ねたY子さんの住む地域に属する。限界集落の問題を忘れて、しばしただずんだ。

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コメント

ご無沙汰しております。
国が言う技術立国というのは一次産業以外の技術立国でしょうから、農業に対する国民の理解も中途半端なものなのでしょうね。
最近は地球温暖化が喧伝され間伐支援ブームのようですが、棚田を含め、農地は生態系の多様化にも大きな効果があります。もっと農地を保全しないと痛い目にあうのは、都市住民というより、日本国民ですがねえ・・・。農業を国家戦略に位置づけず、輸入に頼るのは、危険です。円はなんと言っても印刷物なので食べても腹の足しにはなりません。
限界集落は中山間地に多いと聞いております。集落放棄と共に棚田も放棄されるのを座して待つというのは忍びないものがあります。

投稿: 魔法使い | 2007/11/30 13:53

魔法使いさん、コメントありがとうございます。
日本の農村、それも僻地の現状を見ますと、本当にひどいですね。どうしてこうなってしまったのか。ドイツなど外国の農村のそれぞれに豊かなのを見てきたのと比較すると、考えてしまいます。日本の農政のどこかがおかしかったのではないかとまず思います。農村部の人々が、自分たちの智恵と力でなんとかしようとする。それを国も経済の仕組みを通して助ける。そういう順番ではなく、直接的に助けすぎたのではないかと。農村部もお上がなんとかしてくれるだろうと、政治家とか農業団体に頼りすぎていたのではないでしょうか。米作だけに頼りすぎ、その価格が維持されることに依存したとか、減反などという変な政策で、耕作しない方が金が入ってくるとか、何かおかしかったように思います。見聞したかぎり、自分なりの企業家的工夫で、何かをやっている農家は、リスクもありますが、成功している例もあり、後継ぎも定着しています。そういう自立の方向を促し、助けるのではなく、頑張らせる方向に農政も向かうべきだと思うのでですが、どうなのでしょう。ともかく、日本のそれぞれの地方が、それぞれに特色があり、豊かだという国にしていく必要があるように思います。

投稿: アク | 2007/11/30 21:25

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