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2008/01/22

「迷い道」にいるのか、物理学

 現代物理学の最先端、素粒子物理学、は、どうやら現在、どうしようもないへんてこりんな迷い道に入り込んでしまい、身動きもならないらしい。しかもその状態が過去20年とか4半世紀続いている。物理学者の中でとびきり頭のいい連中が挑戦しながらも、その分野は何の解決策を生み出さないまま、無駄と思われる議論を続けている。全員が集団思考に囚われているため、内部から批判や研究方針の転換を促す声が出ない。高度な数学理論を寄せ集めて、蜘蛛の巣が張り巡らされたようになっている議論の中身には、外部から批判の向けようがない。しかしいくら何でも、そんなに長い期間かけて何の成果もあげていないのはおかしいではないか。それでいて最も優れた若い理論物理学者の頭脳と有名大学や物理学研究所の理論物理学講座のポストという人的資源と、研究助成金という資金的資源とを独占し続けることは間違っている。そのような批判があちこちから出るようになってきた。

物理学先端の行き詰まりは、科学そのものの問題 このブログではあまり取り上げたことのない、物理学そのものの問題を書いてみる。この分野について、私は専門ではない。物理をやる研究者の中でもとりわけ頭脳明晰な、世界中では千人を越える人々が、20年も30年もかかって、複雑な数理的研究を積み重ねている。現代の物理学は高度に専門化している。隣接分野といえども、専門性のバリアは高く具体的な問題は理解を超える。しかし、この分野がおかしいということは聞こえてくる。それが物理学全体の先端の先端であるということに、物理学全体、ひいては自然科学全体が関わってくる。そこがどうなるか次第で、大げさにいえば科学なるもののあり方が問われるかもしれない。いったい自然法則とは何か。成功してきたこれまでの科学の方法はこれからも通用するのか。そんなことを問題にする論者も現れている。

科学のあり方も問われている もう一つ、この行き詰まり問題は、科学の研究体制についても深刻な問題を提起しているようだ。最初に書いた研究資源を独占し、異論の出ようのない体制を作ってしまっていることが問題となっている。もはや物理学ではなく、神学になってしまっていると批判する人すらいる。物理そのものの問題以外に、科学の社会的ありかたが問われている。この面は専門に関わりなくその偏りを理解できる。じつはあるきっかけと経緯から、この分野の現状について、少し集中読書をする機会があったので、そこで知ったことを自分の言葉で要約して書いてみようと思う。まあ、私自身のまとめのメモをここに載せておくということだ。興味のある方には読んでいただこう。なお、一回では終わらないので、何回かに分けて、断続的に、というつもりである。今回は、問題点の切り出しと、こんな問題に関わることになった経緯を書いてみよう。

風旅さんから宿題を 私がこの問題に目を向けるきっかけは、「風の旅人」編集長の佐伯剛さん(私が「風旅さん」と呼ぶこの方とは、科学の問題について、互いのブログで対話をしたことがある。06年前半にお互いのエントリで何度か書いている。たとえばこれ。このブログの下の方にある検索窓に「風旅さん」を入れて、「このブログ内で検索」ボタンに切り替えて検索してみてください)が、2,3ヶ月前、プラズマ宇宙論について意見をくれませんかというメールを送ってくれたことだ。ビッグバンによりこの宇宙が創生されたという、今や宇宙論の正統的な考え方に疑問を投げかけ、ビッグバンはなかったと、定常的宇宙論を主張している科学者たちがいる。その主張に独自の自然観をおもちの風旅さんは興味を持ったらしい。私も促されて、エリック・ラーナー『ビッグバンはなかった』(河出書房新社、93年刊)やそのほかの本を読んでみた。そのことで、私が物理学を専攻しはじめた頃学んだ、量子力学の基礎的問題への知的好奇心が呼び覚まされた。物理学研究者としては、物性物理の実験による研究を専門としたので、久しく基礎的なものへの興味はわきに置いていた。

関心は素粒子物理学の現状へ 風旅さんのくれた課題にはすぐに答えられそうになかったが、興味は別の方向に転じた。天文学としての宇宙論と現代物理学の最先端の素粒子物理学(高エネルギー物理学)とは、いわば親類関係にある。自然の成り立ちの基礎の基礎を探ろうとして探求を進めてきた素粒子物理学は、よく耳にしたことのあるクォークの問題をほぼ解決したあと、そのもっと基礎となる階層の物理を問題にするようになった。そこではアインシュタインの一般相対性理論の扱う重力と素粒子間に働く力との統一的理解が問題となる。それはビッグバン理論が宇宙創生のごく初期状態を理解することと重なりあうのである。ビッグバンは天文学的な観測(宇宙の膨張)から想定されていることだが、そこで起きた物理学的過程は素粒子物理学によって説明されるはずである。素粒子物理学の現在抱えている問題が解決されなければビックバンについても、それがあったという想定以上にはものがいえない。

『迷走する物理学』との出会い そんなことで興味は素粒子物理学の現状へ向かった。そこで思いがけない本を読んだ。リー・スモーリン『迷走する物理学』(ランダムハウス講談社、07年刊)である。年末にこの本を読んで、とても面白かった。素粒子物理学をこの先進めるのに最も有望な理論とされている「スーパーストリング理論」が、とんでもない迷走を続けていることを、その隣接分野にいる著名な物理学者が勇気を持って告発した書である。一般の読者向けに書かれた本であるから、スーパーストリング理論そのものの詳細は書かれていないが、およその輪郭は多少の知識があれが理解できるし、大いに知的興味をそそってくれる。一気に読んだ。理論の現状だけでなく、その理論を研究している理論家集団の、いわば科学社会学的分析も目を引いた。この理論こそ唯一の有望な理論だと信じ込み、カリスマ的指導者を中心の集団思考に陥っているグループはまるで何かのカルトのようだ。しかも彼らが少なくとも米国物理学界の素粒子理論物理学の人的資源を独占している。若い優秀な理論志向の物理学者は、当然のようにスーパーストリング理論の研究へ入って行かざるを得ない。ひとかどの研究ができるようになるためには、何年ものきわめて難解な数理の勉学を積み重ね、その間に業績をあげなければならない。その分野での理論研究をしないことには、理論物理学研究で就職口がない。研究に深入りすると、もう抜け出せない。部外者にはわけの分からない抽象的議論の蜘蛛の巣に入り込んでしまう。その中に住まっているかぎり、安住はできるらしい。脱出口はない。

入院したことで、もう一冊 リースモーリンの本を読んで、ちょっと年末のブログに何かを書いた。その後、この本の中身を以上のような線で紹介するものを書くつもりでいた。ところがそのころ顔面麻痺に襲われた。顔の半分の表情筋肉がまったく動かなくなった。スーパーストリング理論批判のお先棒を担ごうとした呪いだろうか。いくら何でもそれはないが、そう思えるほど、この理論集団はカルト的である。入院して、副腎皮質ホルモンの集中点滴を受けた。年末年始の病院休院期間を避けたため、治療開始が遅れた。点滴を2サイクルくり返すことを勧められ全部で18日間入院した。顔面はともかく、身体の方は何の問題もない。目が完全に閉じないため、絶え間なく涙が出つづけ、目薬をしばしばさす必要はあったが、ものを読むのに障害はない。酒を飲まず、健康な食事を与えられ、病室に拘束されている身。頭は冴え、集中力は抜群に高まった。隣のおばさんたちの声高のおしゃべりをイヤホーン音楽で遮断して、もう一つの本を読んだ。ピーター・ウォイト『スーパーストリング理論は科学か』(青土社、07年刊)である。上記の書と同じようにスーパーストリング理論の現状を批判しているが、著者はスーパーストリング理論に数学者としてある程度深入りし、その現状を打破しようとしてこの本を書いている。量子力学の発祥から現在の素粒子物理学の現状までを一般向けではあるが、かなり高度のレベルで解説している。上記の本を補い、この分野の問題点の理解を深めてくれた。入院という不測の災いを、知的学びの機会に変えてくれ、私はこの幽閉の時間を楽しんだ。さて、今回はここで中断としておこう。

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