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2008/01/25

間違ってさえいない(「迷い道」にいるのか、物理学、その2)

 量子力学の創始期に、重要な貢献をしたヴォルフガング・パウリという物理学者がいる。電子スピン概念の導入に至った排他原理(禁制法則とも)、ニュートリノの存在の予言などで知られている。1945年にノーベル賞を受賞している。この人は、同僚や若手の物理学者の新説に対して歯に衣着せぬ鋭い批評をすることで知られていた。研究会などでの講演を大声でさえぎって、「間違っている(wrong)」とか、「大間違い(totally wrong)」と言ったという。その彼がもっとひどい説に対して使った表現が、 「間違ってさえいない」(not even wrong)である。スーパーストリング理論批判の書として2冊目に読んだ本のタイトルがこれである。日本語への翻訳本は、せっかくの原題を変えて「ストリング理論は科学か」となっている。

おかしいと批判の声を 著者ピーター・ウォイト(Peter Woit)は、ニューヨーク市のコロンビア大学数学科の講師。もともとスーパーストリング理論研究の分野にいたが、物理理論としての閉塞感、理論物理学界の集団思考に嫌気がさし、数学専攻に変えた経歴の持ち主である。かつて内部に身を置き、現在は隣接分野にいるものとして、スーパーストリング理論の問題点を知り尽くしてる。どう見てもこの理論はおかしい。「間違ってすらいない」と批判の声を上げようとこの本を書いた。出版に苦労したらしい。某大学の出版局は、このような論争的な本は大学出版局にはふさわしくないと出版を断った。それを救ったのが宇宙論などで著名なロジャー・ペンローズだったらしい。出版と同時に同じタイトルのブログを立ち上げ、そこには数多くのコメントが寄せられて、この問題の議論が深まっている。

何の予測もできない理論? 自然科学は、観測・実験による新しい発見と、新しい着想とが絡み合って進む。新しい発見は、それまでの理論で説明できないときは、新しい理論の構築を促す。新しいアイデアは、その論理的一貫性により、そして予測が実証によって確かめられることにより正しいとされ、科学者の共有の理論となっていく。そこから次の予測が生み出され、さらに進んだアイデアが生み出される。こうして自然科学は進歩してきた。ところが、このスーパーストリング理論は、前のエントリで書いたように、2、30年の研究を積み重ねながら、一つとして観測結果と照合できる予測を生みだしていない。だからこの理論が間違っているかどうか確かめようがない。じつはそれは理論と呼べる段階にすら達していない。明確な枠組みを持った理論ではなく、いずれ探り当てることができるかもしれない理論に対する希望のようなものにとどまっている。

絵に描いた餅すら存在しない 基本の理論的枠組みとか方程式すらさだかでない。こんな理論があるかもしれないという段階で、その理論に予想されるさまざまな性質をああでもない、こうでもないと議論をしているらしい。絵にも描けない餅である。10次元とか11次元の時空間に浮いた糸(ストリング)が基本的なもので(11次元の場合は時空間に浮いた膜〈membrane、略してブレーン〉)、その振る舞いからすべての基本的な物理が出てくるというのだが、その最も簡単なものでも理論の枠組みをユニークに構築することができずにいる。なぜ10次元とか11次元かというと、理論に要請される対称性とか、その他の性質を満足させるためには、最低限に絞っても、それだけの次元を持ち込まないといけないらしい。

究極理論 物理学が究極的に追い求めていることは、自然の基本を最も簡潔な法則で表すことである。その法則に現れる定数は、自然がユニークに決めているはずである。それが究極理論、万物理論(Theory of Everything)である。そこからアインシュタインの一般相対性理論も、量子力学も、量子場の理論も、これまでクォークレベルまでをどうにか説明するのに成功してきた標準モデルも、これまでのすべての物理学の理論が包含されるはずである。

莫大な数の別々の理論の可能性 究極理論がどんなものであるかをさまざまな人が予想して研究してきた。その可能性が最も高いとされてきたのが、スーパーストリング理論である。ところがこの仮想的な理論は、研究を重ねるほどにとんでもない化け物になってきた。とても無矛盾にユニークに決まりそうにない。ユニークどころか、可能な理論の数がとてつもない数になることが予想されるようになった。最も簡単な理論を想定しても、その数は実質的に無限にあるらしい。10のあとにゼロを100個とか、500個とか付けた莫大な数(宇宙に存在する物質粒子の数より多い数)の理論が可能で、どれが正しいと絞り込むことができないことが分かってしまった。

多数の定数が決まらない 究極理論では、知られているさまざまな粒子(電子、陽子、クォークなど)の質量などを決める定数がユニークに与えられるはずである。これまでクォークレベルまでの物理を説明するのに成功した(大成功だったが)「標準モデル」が、今なおもの足りないことの一つは、それが18個の人為的に決めたパラメータを持っていることである。それがすべて自然に与えられるものであってほしい。ところが今考えられている最も簡単な理論の予想でも、人為的に決めなければならないパラメータが、この18個に加えて、百個ほどあるという。こんなゴチャゴチャした人工物がとても自然の究極の法則とは考えられない。悪口をいう人は、Theory of Nothing(何でもないものの理論)とか、Theory of More Than Everything(万物以上の理論)とか揶揄するゆえんである。

しかるべき言語を見いだしていないのか ウォイトはこの本で、数学者らしく、理論物理と数学との関連を指摘している。数学は物理を記述する言語である。スーパーストリング理論がうまくいかないのは、今選ばれている言語が不適切であるのに、それにこだわりすぎているのだと指摘する。新しい言語を見いだすまで、この迷い道は続くのかもしれない。スーパーストリング理論に数学者として深く関わってきた英国の数学者アティア(フィールズ賞、アーベル賞受賞者、20世紀後半最高級の数学者といわれる)の言葉としてこのように引用している。

 自然法則が、今ストリング理論に登場しつつあるような、手の込んだ代数の仕組みを用いて書かれていると信じるだろうか。それとも自然法則はもっと深く、単純で、しかも精妙であり、われわれの用いる数学的記述は、われわれが手にしている道具でできる最善のことをしているにすぎないのだろうか。つまり、もしかするとわれわれは、まだ、自然の究極の単純さを見るための、しかるべき言語と枠組みを見いだしていないのかもしれない。

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コメント

>その他の性質を満足させるためには、最低限に絞っても、それだけの次元を持ち込まないといけないらしい。

まったくの素人がいうのも、なんですが。
この事情って、嘘のつじつま合わせに次々と嘘を重ねる子どもじみた弁解に、どこか似ている印象がありますね・・・。

その3)を期待しています。

投稿: わど | 2008/01/29 06:49

とおりすがりですが、面白い記事ありがとうございます

投稿: ryo | 2012/12/10 23:40

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