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2008/02/25

墓の準備

080225tomb

 まだまだ死は遠い将来のことと思いながらも、死後の後始末のことは考えておこう。親を見送った頃から、そのことは何となく気になっている。連れ合いからは、葬儀の仕方や相続のことなどを書き残しておいてほしいと、注文をつけられたことがある。自分の方が長生きするつもりだなと思ったら、自分の分はとっくに書いてあるという。ひとりで海外旅行に出かけたことがあった。その折に、概略の方針のようなものを「遺言ノート」という出版物を利用して書いておいた。葬儀をしないこと、僅かの遺産は二人のうち残された方の老後の生活費に当てること、その他の後始末のことなどである。ただ、そこに書けなかったのは、遺骨の始末のことだった。それを今回決めることができた。手に入れたのは、普通の墓地ではない。共同墓の一種である。夫婦墓であること、宗教・無宗教不問のこと、全費用を前払いできることなどが気に入った。

 もともとの先祖伝来の墓は、父の代から無縁となっている。両親は、キリスト教会の牧師で、みずから設立に尽力した教会共同墓に入っている。私たちはある時期から自覚的に教会から離れた。自分で墓所をもとめるしかない身である。墓が大事とは考えていない。散骨でいいとも思ったが、けっこう面倒そうである。残されたものたちが苦労するだろう。それよりは遺骨の置き場所さえあればいい。納骨堂などを漠然と想定して、そのうちに探そうと考えていた。

 東京の町を歩いていて、たまたま目にした入居者募集中(とはいうまいが)の墓所が、自分の好みに合いそうに思えた。東京の住まいにほど近い。都心で馴染んでいる界隈にある。連れあい同伴で再度見にいった。彼女も気に入った。即刻契約して、翌週には振り込みをした。年末を挟んで少し間が空いたが、名前の刻印も済んだ。戒名なし、それぞれの本名の下に、生年月日を西暦表示の数字で横書きで刻んである。いずれ没年がもう一行追加される。このモダンなスタイルも気に入った。

 上の写真が、その共同墓の大部分を写したものである。いくつかの区分に分かれている。中央左手の棚のようになっているのが、私らがもとめた夫婦墓の部分である。ひとつのユニットが15センチに20センチ程度だろうか。それが50ほどある。まるでお墓のマンションだ。普通の骨壺のままでは納められない。用意されている4寸の壺に遺骨を移し替え、残りは下の土台の部分にある総墓に納められる。

 手前に見えている二つの部分は、4、5人用の家族墓である。銘板が上向きに設けられたタイプだ。すでに完売されている。左手のいちばん奥に、黒くて丸っこい碑が見えているが、この部分は集合墓で、遺骨は土台にある空洞部に袋に入れて納められ、壁に名前が刻まれる。これと同様のものが、もうひと組、写真に写っていない右手の壁に設けられている。

 この場所は日蓮宗の寺に属している。檀家の墓地は寺の裏手にある。寺付属の幼稚園が廃園となり、その運動場が一般用の墓苑に転じて売り出されたものだ。寺が責任をもつ墓苑である。この共同墓の前方にある地所の大部分は、区画を専有し墓石を立てる、普通の墓地として分譲されている。しかし都心の墓苑ゆえ、これ以上手狭にはできないと思えるほど密着して墓石が並んでいる。私らはそのような墓地を持つつもりはなかった。写真にある夫婦墓が、ちょうど私らがイメージしていたものにぴったりだった。

 宗旨・宗派不問の墓苑である。しかし、仏教か、無宗教に限るらしい。○○学会とキリスト教はお断りだという。お寺の敷地ゆえ、納骨や法事に当たって、仏式のはいいが、他宗教のセレモニーはご免こうむりたいということだ。私らにはそれは好都合である。お寺の墓地だからと、形だけとはいえ、特定宗派の儀式を強制されるのはかなわない。納骨は一切のセレモニーなしで事務的にやってくれる。その際の費用も、年間の維持費も要らない。残されたものに何の負担もかけないことが気に入った。

 二人のうち後になったものの没年から32年間は、この形で存続し、その後は総墓にまとめられるらしい。それで十分だ。子孫に墓参りをしてほしいわけではない。死後、遺骨の納め場所があることで、残されたものたちにとって納得のいく葬りができさえすればいい。先日上京の折、子供らに来てもらって、刻まれた名を見てもらった。いざという時に必要な規定などのコピーも渡した。

 死後のことはどうでもいい。しかしこうして自分たちの墓所が決まってみると、なんだか心が落ち着く。東京で好んで住んだ場所に近い。都心にはめずらしく明るく大きな空が開け、日当たりのいい南向きの壁に設けられている。赤味がかった花崗岩の色も好ましい。ここに夫婦が骨になって一緒に納まるのも悪くない。時折この場所を訪れ、刻まれている自分の名を確認しつつ、残された日々を数えるのも、これからの楽しみになりそうだ。

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