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2008/05/23

生活レベルを下げていく時代へ?

 車をどうするか、連れ合いから問われている。年金生活世帯だというのに、2台の車をもっている。一つは比較的大きな乗用車。遠出のためである。一つは軽乗用車。近場の用を足すためである。大きい方はめったに使わない。遠距離ドライブはせいぜい年一度か2度。あとは海外旅行に行くさい、荷物ごと成田に行き、駐車するためである。水戸という場所柄、それがいちばん便利だ。軽一つにすることを連れ合いは主張するが、遠出のドライブでの快適さ、安全性を考えると、大きな車を手放しかねている。しかし、5万円を超す自動車税の請求書を手にして、年金生活者としては考えてしまう。

 近くのスーパーでは日曜日が特価販売の日である。日曜となると連れ合いはワンパック98円の玉子などを求めに出かけていく。ひとりワンパックに限定されているため、ほんとは私を同伴したいらしい。誰それさんのところは、夫婦で来ていたよとの報告を聞き流すのはつらい。たまにはついていく。でも玉子ワンパックだけをレジにもっていくのは、男のメンツに関わる。つい酒など余分な買い物をしてしまう。連れ合いはその不経済に気づき、最近お呼びがかからなくなった。でも百円の節約を心がけるのを見ると、こちらも贅沢はできない。ナイトキャップのシングル・モルツ・ウィスキーを、とうの昔に安い芋焼酎に切り替えた。ビールは依然としてプレミアム・モルツにこだわっているが、最近発泡酒にも手を出す。ワインも箱入りの安ものだ。

 経済のことはあまり分からないが、最近の兆候を総合すると、これからは生活レベルを下げていく時代に入っていくのだなと、漠然と感じる。

 経済の成長要因はあまり見られない。原油はますます高騰していくだろう。それを抑える手だてはなさそうだ。米国、中国頼みの輸出は伸びるどころか、頭打ち傾向のようだ。内需はますます細っていくだろう。新しい成長をうながす新技術を期待したいが、どこかにあるだろうか。大きく伸びそうな新産業分野は見こめない。生産性向上も望み薄だ。これら全体傾向が株価低迷に反映している。

 低成長の中、可処分所得は減少傾向を続けることだろう。大きな財政赤字を抱えながら、少子高齢化が進む。社会福祉の負担は増えていく。皆で負担を分け合うしかない。社会保険負担は増えていかざるをえまい。消費税を含めて増税も必至だろう。

 物価は上がっていく。穀物と原油価格の高騰だけで、ほとんどあらゆる日用品が上がっている。その傾向はますます強まることだろう。

 高齢者にとって医療費負担は重い。退職直後に比べると、制度改訂のおかげで、医療費負担は何倍かに増えた。問題になっている後期高齢者医療制度の導入で、保険料ともどもさらに増えていくのだろう。

 この国をどこへ向かって引っ張って、難局をきりぬけていくか。それを主導するのが政治の役割だが、期待できそうにない。今の政権がどうというより、どの政治家、どの政党がやろうと何かが大きく変わりそうに思えない。せいぜい目前の問題をこつこつ解決していくしかない。だいたいどういう国にしたいか、その政策選択の軸も明確でないし、国民の意思も拡散している。
 
 どこを見ても悲観要因ばかりである。現役でやる気のある人たちは、個人レベルでは、道を開くことができようが、平均的には将来は暗い。退職世代の生活はきつくなる一方だろう。実質収入は減っていき、物価、税金、社会保険料などの負担は増えていく。生活レベルの切り下げは必至だろう。

 どうすれば生活の質を下げずに、無駄と思われる部分を省く工夫ができるか。各人の知恵が問われている。私だって考える。本や雑誌はできるだけ買わずに、図書館で間に合わせるか。パソコンも新型に手出ししたいところだが、今ので間に合っている。当分これで行くか。デジカメもレンズも新製品はどんどん出てくるが、まあ現有でよしとしよう。海外旅行もそろそろギブアップする潮時かな。体力も落ちてきたし。展覧会や音楽会の文化活動も、絞り込んでいくのかな。東京行きもこのところめっきり減らしている。せいぜいただで済ませる街歩きにでも励むか。

 私ら世代は、戦中、戦後の混乱と窮乏の時代を生きてきた。あのころのことを考えたら、生活レベルのダウンには耐えられる。ただこうして経済全体のサイズが縮小していくとき、社会的公平性が納得のできる範囲で維持されるか。それが心配だ。個人と個人が、世代と世代が、階層と階層が、競い合い、われがちによりよい生存を求めていく。それが経済というものの実態だろう。醜い世相を見ないうちに、この世におさらばしたいものだ。

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コメント

アクさん久し振りに私が参加できるテーマですね。後期高齢者と言より私の場合は不治の病気と闘っているので末期高齢者がぴったりです。当然、年金生活であらゆるものを切り詰めています。かなり前からビールは発泡酒にしたり、家内のワインはできるだけ安いものにさせたり、バブル世代の娘に小言を言ったり、とにかく私亡きあとの大変な生活に耐えられるよう対策を心がけていますが不評です。私は体のことを考えて発泡酒もやめ、いまは水かお茶にしていますが体調よく、あと2-3年若い方の年金負担のお世話になれそうです。私は体の都合で外出できないので自分でお金を使わなくなりましたが、その分若い者たちが使ってくれるので日本経済に家族として貢献しています。ところで、後期高齢者の呼称は良くないですね、お年寄りには医師も若い人に対してあまり検査をしなくなります。身体的負荷をかけたくない、患者さんが嫌がる、患者さんも家族ももう年だからと諦めるからでしょう。人一人の患者さんに医療費をかけないようになります。人は誰でも自分のことより将来の人たちのことを考えて対策を立てると思っていましたが、厚生労働省の役人たちは若い人ばかりで予算面からのみで後期高齢者を差別するため反発されるのだとおもいます。普段から年寄りは遠慮しながら生きているのですがもっと堂々と生きるべきだとおもいます(年金の範囲内ですが)。
  ブログ何とかできました、失敗しながらです。御指導感謝します。今後ともよろしく。

投稿: 尊愚問 | 2008/05/24 07:19

“世の中、厳しうなっとるぞ”という警鐘にリアリティをもたせるためあえてご自分の日常を卑下?されたものと受け止めております。
おそらく(わたくしと同じく)「子孫に美田を残さず」という主義でおられるのでしょうから、残る人生できるだけ“優雅”に暮らしたいものです。そのお手本がアクさんだと思っております。
そうは言ってもときおりつましやかな思いがよぎるのは、戦中、戦後の窮乏生活を経験しているわれわれ世代の抜きがたいDNAのせいなのでしょう。
高度成長期のはしりのころだったと思いますが、高峰秀子が「駅弁のふたのご飯をひとつぶひとつぶ食べる」と何かで言っていたのを覚えていますが、これも同じ感覚から出た言葉ではないでしょうか。

二伸 遅まきながら、ブルージュからの便りを拝読しました。わたくしは、97年の冬、当時パリに駐在していた息子の運転で日帰りで行きました。片道2時間半くらいだったと思いますが、150キロでとばす息子に「そんなにスピードをだすなよ」といったら、「ここではこれが普通だよ」ときりかえされたものです。
ブルージュはクリスマスシーズンだというのに喧騒さはなくおちついた、本当にどこを切り取っても絵になる美しい町であるとの印象を今ももち続けています。
薄暗い裏通りの一角での市民グループ(と思われる)による聖歌の合唱。通りの音楽もどこから聞こえてくるのかわからないほど静かな、それも日本のような定番のクリスマスソングではなくクラッシック音楽であることに気がつくと、そこに住む人々の民度が伝わってくる思いがします。
この街で求めた、額に入った水車やスワンをあしらった刺繍はわが家の寝室の壁に懸けております。
広場に面したレストランで大皿にてんこ盛りのムール貝の美味を満喫したことも、よき思い出です。
89年に訪ねたゲントもいい街でした。

投稿: かたやま | 2008/05/31 10:22

かたやまさん

警鐘にリアリティを持たせる、なんて芸は私にはありまえん(苦笑)。できるはずと思っていた「優雅」な暮らしから、イカロスの墜落よろしく、「苦難」の老後になることを予感しています。

ブルージュのこと、今日のHP本館に、旅行記をアップしています。写真集も一日二日したら、と用意しつつあります。ごらんいただきたいです。

ゲントも行って見たい町です。しかし夢が叶わないうちに、リアリティに負けそうです。

投稿: アク | 2008/05/31 19:36

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受信: 2008/05/23 15:02

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