« iPhoneは使いものになる | トップページ | 健康によい食品選びのための指標:ONQI »

2008/08/30

他者のために自分の命を捨てること

 アフガニスタンで農作を地元に根付かせるために働いていた伊藤和也さんが,武装勢力に拉致され、殺された。身の安全が保障されない場所でのNGO活動は間違っていたのだろうか。命を賭しても,他者のために何かをするという、ぎりぎりの活動を私は容認したい。さらに、それに関連して,海外での自衛隊の活動で、人命の犠牲があってはならないという原則論に疑問を感じていることも書いてみよう。

 事件の詳細はまだ明かされていない。それ次第でこの事件への見方は変わる可能性があるが、ペシャワール会はもっと早く撤退すべきだったという見方にくみしたくない。治安の悪化を見て、引き揚げさせようと思っていたところだったとも伝えられる。だが、起こるべくした起きたといえるのだろうか。むしろ拉致された伊藤さんを取り戻そうとして,地元の人々が大挙して山に入り,犯人たちを追い詰めすぎたとき起きた偶発的な事件だと見たい。ゆっくりと犯人側と交渉することになっていたら,伊藤さんを取り戻せたのではないか。村人たちに大事な人であったからこそ、その人を拉致するとはとんでもないと村人たちが怒り、大規模な追跡劇となり、それが結果として伊藤さんを死なせることになってしまった。そういう善意と結果との不整合は,悲しいことに現実にありうるのだ。

 この事件はそれとして、アフガニスタンの治安状況のひどさからすれば、ペシャワール会の人たちは、このようなことが起きるのは想定外だった、とはいわないのではないか。善意にもとづき、丸腰で、長い期間アフガンのために働き,現地人に溶けこんでいるとはいえ、そのことが即安全を保障しないことは分かっていたことだろう。それでもとどまり続けるとは、万一、いやもっと高い確率で,このようなことが起きることも覚悟していたのではないか。私はそのことを、むしろ評価したい。アフガンのために働く志と,身の安全とを秤に掛けたときに、伊藤さんは、志のほうを選択したし、ペシャワール会もそれを是としたのではないか。

 ペシャワール会のHPを開いてみると、その最初のところに『誰も行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする』とある。誰もが行きたがらない所とは、死ぬかもしれない所であろう。そこへ行き,身の安全を二の次として,誰もがやりたがらないこと,荒涼とした地に水を引き,農業を根付かせることを行ってきた。そして偶然の出来事に巻き込まれるようにして死んだ。残念なことだけれども,それは会のボランティアとして、ある程度覚悟した死なのではないか。


 戦後日本の産みだしたおかしな考え方の一つに,人命はいかなる場合といえども失われてはならない、というのがある。このような事件が起きると、見通しの甘さ、判断ミスを咎める方向に世論が動く。組織の代表者は非難を浴びる。命を賭して,あることをやり抜くことの崇高さが、軟弱な議論の中でもみくちゃにされる。

 同じことが海外での自衛隊の活動にいえる。自衛隊が紛争地域に平和維持、復興支援活動に派遣されるとき、何より優先されるのは,その地で自衛隊員の生命が失われないということだ。イラクへ出かけていった自衛隊が,他国の部隊に守られて,堅い砦の中にほとんど閉じこもっていたことに,当時疑問を感じた。自衛隊の派遣自体に私は反対だったが,いったん出かけた以上、犠牲を覚悟で、イラクの国土再建のために働いてもらいたかった。他国の部隊に守られるというような無様なことはやってほしくなかった。ただ行くことだけに意義ありという自衛隊活動のあり方はおかしかった。他の国は、派遣員の犠牲を覚悟で治安維持活動に当たっていた。

 このおかしな考え方が、憲法九条ゆえだというのが、もっとおかしなことだ。九条の戦争放棄・平和主義、イコール、人命を失わない、という安易な結びつきになってしまっている。九条の意味するところが、そういう単純な基準に取り替えられ、逆に人命さえ失わなければ,戦争協力をしてもいいということになっている。じじつイラクでの航空自衛隊の輸送活動や,インド洋での海上自衛隊の給油活動は,どう見ても米軍のやっている戦争への協力である。

 アフガニスタンの治安はまったくひどい状態にある。アメリカが手を抜いた分、NATO軍を中心とする部隊が、ISAF(国際治安支援部隊)の仕組みのもとに,治安維持に当たっている。各国はかなりの犠牲を出している。つい先ごろも武装勢力の襲撃を受け、フランス軍兵士が一度に10人も殺された。しかし、フランス政府は撤退せず,闘うという。

 ISAFに日本が参加できるかどうか、するかどうか、については,議論がある。民主党は、一時期前向きになったことがあった。その民主党は、その後腰が引けている。新しい恒久的な法律が必要だろう。この件に限らず、国連の行う平和維持活動に自衛隊を参加させることについて、本格的な政策論争が必要だと思う。その際、武器使用の制限などについても見直し、戦闘に巻き込まれ、犠牲がでることを覚悟することも、議論の俎上に載せるべきだろう。

 伊藤さんの死を契機に、治安の悪い地でのNGO活動と人命の安全のことから,さらには自衛隊派遣と人命の犠牲にまで話は走ってしまった。NGO活動と自衛隊活動は別である。しかし、人命の犠牲についての日本での常識を疑問とする点で、そこまで話が進んでしまった。私の意図を汲み取ってほしい。なお、前の戦争での、特攻とか、無謀な作戦による莫大な数の「無駄死に」と,ここでいう他者のために死を覚悟することとは,全く別のことであるのはいうまでもないことだ。

 伊藤さんの死に話を戻そう。彼の死は無駄ではない。彼を取り戻すために,多くの村人(千人とも伝えられる)が山を取り囲んだという。彼の死を悼み、葬儀の場にたくさんの周辺の人が参加するという。副大統領も弔問したという。それほどまでに彼の死を現地の人たちは悼んでいる。それほど彼は現地の人々の心に残る仕事をしてきたのだ。現地に農業を根付かせたいという彼の願いはアフガンの人々に届いた。それがやがてみのるに違いない。

 彼の死の報を聞いて頭に浮かんだのは,聖書の言葉(ヨハネ15-13)である。

 『人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない』

|

« iPhoneは使いものになる | トップページ | 健康によい食品選びのための指標:ONQI »

コメント

戦場に行くのは戦争参加と同じ
撃たれても文句は言えない
善意の為だと言おうが所詮は銃を持たない衛生兵でしかない
挙句タリバンが攻撃するはずないと言う主張だけが全ての妄言を吐くあの会はむしろあの地を混乱に招いている活動してるだけ
表向きの奇麗事で結局はテロリストを作る活動だと誰も気づいてない
本当に農業だけ教えれてば良いのに

http://obiekt.seesaa.net/article/105658453.html
http://obiekt.seesaa.net/article/105742063.html

投稿: KOTA | 2008/08/30 19:41

KOTAさんのような意見の方もあるということで、このコメントの「公開」手続きをとっておきます。

このような見解の方とは,おそらく議論しても無駄でしょう。

ペシャワール会をタリバンを擁護する側だとみなして攻撃するのは,不幸な運命をたどってきたアフガンの人々のために、どの政治勢力にくみすることなく、アフガンの人々が必要とする井戸を掘り、病を治し、農業を定着させようとして、粘り強く息の長い活動を続けてきた彼らに対して,あまりにも理解のない態度だと思えます。憐れですね。あなたがです。

投稿: アク | 2008/08/30 22:22

 だいぶ前の記事にコメントさせて頂きましたが、今回の記事も興味・共感をもったのでお邪魔します。
 基本的に、私もアクさんと同様の感想を持っています。政治(紛争も含めて)がいかなる状況であっても、生きる糧を得る援助にボランティアで訪れることは、絶対的に正当化できるものと思います。個人の行動として、これほどヒューマニティに溢れたものは他に無いように思われます。
 ペシャワールの会が、もし、このヒューマニティを今でも信奉しているのであれば、撤収すべきではないと思います。
 日本は(政府は)、国として、このヒューマニティーを理解していないのではないか、と懸念しています。理解し擁護しようとするならば、このような個人を援助する、少なくとも個人が危機に陥ったときに速やかな救援を行うべきではないでしょうか? 大使館職員でさえ現地入りが間に合わなかったようで、大変残念なことです。また、過去に、中東の大使館員が公務で殉職した際、ご遺体の帰国にあたって国の執り行う儀式はまったく無かったと聞きます(佐々淳行氏の著書による)。
 一方で、フランス外務省は、今回の事件にあたって、公式のステートメントを出しています。自国民以外の被害に対して国としての意思表示をするところに、ヒューマニティーに根ざした国としての成熟度の差が現れているような気がしてなりません。

投稿: けんた | 2008/08/30 22:32

私も全くアクさんのご意見に賛成です。

でも、世の中って本当にいろいろな考え方があるのだと、ここに書き込みされたコメントを見て思いました。

<他者のために自分の命を捨てること>

まさに聖書の教えそのもの。聖書から遠ざかった方だと思っていましたが、やっぱり心の底に沈んでいるのですね。

余談ですが、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」の主人公も同じように他者のために自分の命を捨てました。

他人に殺されるわけではありません。自ら進んでい命を投げ出して火山を爆発させ、イーハトーブを冷害から救うのです。

賢治のこの話を読んで驚いたことがあります。イーハトーブが冷害に襲われた時、近くの火山を爆発させて気層に炭酸ガスを増加させ、温度を上昇させる事を考えた賢治に脱帽しました。
でも、今はまるで反対。いかに炭酸ガスを減らそうかという時代ですから。

脱線しましたが、私も伊藤さんの死を無駄にせず、これからも活動していただきたいと思います。
伊藤さんの行動に大きな感動と、自分自身の小ささも感じました。

投稿: 美千代 | 2008/09/01 10:09

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/36654/42326951

この記事へのトラックバック一覧です: 他者のために自分の命を捨てること:

» 【日中】日中激突なら海上自衛隊は中国海軍の前に全滅? 元防衛大教授がシミュレーション★2 [08/26] [【究極の宗教】Physical Mankindism【PM】 by Humitaka Holii (堀井文隆)]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1219746659/ [続きを読む]

受信: 2008/08/30 22:51

« iPhoneは使いものになる | トップページ | 健康によい食品選びのための指標:ONQI »