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2009/02/04

池田 vs. 五十嵐論争がきっかけ

 現在の経済危機の中での雇用問題を、一部のエコノミストが分析しているのを聞いたり読んだりした際に覚えた疑念を、この分野については素人だが、自分なりに考えてみたいと書きはじめている。前回は素朴な疑念をそのまま書いてみた。エコノミストが経済問題を論じる際に使うツール(経済理論)は、経済現象の事実にもとづいて構築されたもので価値中立的だ、というのは本当にそうなのか、ということだった。「事実」というのは、現実に起きることはかくかくしかじかだ、ということである。それに対して、現実に起きていることは、良くない、間違っている、このようにす「べき」だというのが、「価値」である。経済理論は、そういう「べき」に中立的であるというが、それは本当か。

 このような問題に気づいたのには、じつはきっかけがあった。今回はそのことについて書いてみる。池田信夫という人のブログある日のエントリが気になった。このエントリには事前の経緯があった。池田が五十嵐仁という法政大学教授の書いた本(『労働再規制』)を「読んでいけない」本という項目に入れて書評した。それに対して五十嵐が自分のブログで6回にわたって反論を書いた()。それに対して池田が回答したのが上記のエントリであった。それが私の目にとまり、私に問題意識を喚起したのである。いささか細部にわたるがおつきあいいただきたい。

 そのエントリで池田は、「6本もある記事も一つ一つ反論する価値があるとは思えないので、5番目の記事の一部だけにひとことコメントしておく」として、五十嵐の5番目の反論の一部を引用して、彼としての反論のポイントとしている。

【五十嵐】 さらに、「著者のような社会主義者には雇用は労働需要と供給によって決まるという高校レベルの経済学も理解できないのだ」と、またも、拙著には書かれていない事柄で私を馬鹿にしています。しかし、こう書くことによって、ここでも池田さんは労働問題についての無知を露呈してしまいました。「高校レベルの経済学」では、商品の価格は需要と供給によって決まることになっています。しかし、雇用はそうあってはなりません。労働力商品の価格は需要と供給に任されてはならない。

こう引用した上で、池田はこの部分に以下のように「回答」している。

【池田】 私に反論するなら、「雇用は労働需要と供給によって決まらない」という事実を提示しなければ議論は成り立たない。「されてはならない」という価値判断によって事実を否定できないことは、論理学の初歩だ。五十嵐氏が「地球は回ってはならない」と叫んでも、地球の自転は止まらない。つまり労働力商品の価格は需要と供給に任されてはならないとしても、需要と供給によって決まるのである。

 お互い言葉のぶつけ合いなのだが、よく読むと、主張はすれ違っている。池田は「雇用は労働需要と供給によって決まる」という経済法則を事実を持って反論せよといっている。しかし五十嵐は、その法則の当否を論じているわけではない。五十嵐が「拙著に書かれていない事柄」だとする(池田が勝手に、五十嵐が否定しているとみなして非難している)法則を反証せよといっているわけだ。

 五十嵐の主張は後段にある。「商品の価格は需要と供給によって決まることになっています。しかし、雇用はそうあってはなりません。労働力商品の価格は需要と供給に任されてはならない」の部分だ。これは、価格決定メカニズムにおいて、「商品」と「労働力」とを、同じレベルの変数として解析対象とするのはいかがなものか、という価値観の主張である。

 池田は、論点をずらして、「事実を価値判断で否定できないということは論理学の初歩」だと揶揄して、この五十嵐の主張を切り捨てる。よく文脈を読めば、この反論は反論になっていないし、この論じ方自体が卑劣だと私は思うが、ブログの世界にはこういう書きものが横行している。だがこのエントリの当否を論じるのが私の書きたいことではない。このエントリについていえば、そのおかげで、経済理論と価値判断についての問題意識を呼び起こされたことをむしろ多としたいほどだ。

 さて、何が問題だったかを少し掘り下げて整理してみよう。池田は、事実を価値判断で否定してはいけないと書いているが、五十嵐は、(明示的に書いていないが)池田の立論の根底に価値判断があって、その価値判断に自分の価値判断をぶつけているのである。こういう議論のポイントを明らかにするには、隠された前提を見つける必要があろう。池田が雇用をめぐる問題に経済法則「労働力商品の価格は需要と供給で決まる」を適用して、論じる場合、人間の労働の価値をもののそれと同等に扱っていいという価値観を前提にしている。その価値観を、五十嵐は、そうであってはならない、といっていると整理できる。事実と価値の混同ではなく、価値観と価値観の対立なのである。

 だから、池田は五十嵐の価値観と向き合い、自分の経済理論の根底にある価値観が妥当であり、五十嵐の価値観は採用できないことを論じることがまともな反論だったはずだ。池田が、最後の部分で書き散らしているように、それは社会主義だ、というレッテル張りで片付けられる問題ではない。

 このように私は考えたことから、一見価値中立を装う経済理論なるものに問題を感じはじめたわけである。もう一つ、いずれ考えてみようと思うのが、事実と価値の問題がある。「事実」は客観的、「価値」は主観的であるとし、したがって価値については、合理的な議論の俎上に乗りえないという、私には間違った考えと思える発言がよくなされる。池田の当のエントリにも、それへのコメントにもそれが見られる。これについては、あらためて書こう。

 じつは、そんなことを舌足らずのつたない言葉で書いて、池田のエントリへのコメントとして送ったのだが、採用されなかった。レベルの低いコメントと判断されたのだろう。だが推察するところ、この人は、自分に都合の悪いコメントは掲載しないらしい。それはそれでいい。だが、そのことが、私がこの問題に深入りするきっかけを与えてくれた。

 なお、池田の「回答」に対して、五十嵐本人は当然のことながら反論を書いている。お読みいただくといい。彼は、池田は6回にわたる反論に「答えることができない」ので、逃げを打って、あのようないい加減な「回答」でごまかしたとしている。

 さらに付言しておくと、五十嵐の学問的立場を私は理解しているわけでも、賛同しているわけでもない。だいたい私はそれをどうのこうのというほどの学びをしていない。ただ、以上述べたような疑問を感じて、問題にしはじめたということだ。この分野の専門家からすると、ずいぶんウブなことを論じていると見られても仕方がない。私は全くの非専門家としての私なりに、問題を考えみたいだけなのだから。

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コメント

こんばんは。以前から時々拝読させていただいています。

池田氏の主張にはあちこちで反論があるようですが、経済学における「事実」と「価値」の峻別をよく理解していないのではないかな、と思えます。また、市場原理主義に走りすぎて、それが引き起こす矛盾点を等閑視しすぎているのかもしれません。また五十嵐氏も社会主義の立場からの疑問・解答をいきなりぶつけていて、決して交わることのない平行線の議論になっているように思えます。市場原理主義の否定派・肯定派がいくら意見をぶつけ合っても相手を否定する意見しか出ないのはいわば当たり前かと…。

ここで論じておられることは決してうぶな話ではなく、経済学においては大変に重要な論点でありながら学者自身が避けて通るテーマでもあります(自分の研究の価値を否定しかねませんからね)。視点の鋭さに敬服する次第です。

なお、経済理論の「価値中立」の問題については

佐和隆光著「経済学とは何だろうか」「市場主義の終焉」(岩波新書)が読みやすくていい本だと思います。

そこからさらに思考を深めていきたいと思われたときには、
A.セン著「合理的な愚か者」(勁草書房)
を読まれることをお勧めします(集合数学を多用した論文が含まれていますが理系でいらっしゃるようなので大丈夫でしょう)。用語が難しいですが、ウィキペディア等で調べられれば十分理解できると思います。

投稿: number8 | 2009/02/08 04:35

number8 さん

私の未熟な問題意識をフォローしていただき、ありがとうございました。

ご教示をいただいた書物(佐和の「終焉」は、持っていて拾い読みしたことがあったのでした)を、読んで、さらに自分なりに考えてみたいと思っています。

その気になって探してみると、この問題を論じてある書物・論考はけっこうあるものですね。最近の新聞などにも関連した話題を取り上げている意見記事などを見かけます。

・宮崎義一「近代経済学の史的展開」は冒頭に「経済学の価値前提」の1節を置いています。
・パトナム「事実/価値二分法の崩壊」は哲学者の観点から経済学における事実・価値の問題を論じ、とくに A・センの経済学を取り上げています。
・最近話題になっている「アダムス・スミス」(中公新書)で堂目卓生氏は、市場主義の根底に「道徳感情論」があったことを指摘しているなど。

さらに勉強し、考えてみます。

投稿: アク | 2009/02/08 10:02

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