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2009/03/09

怪我の功名

 このブログの読者で、タイトルを読めない人はまさかいないと思うが、最近えらい人でも読み違える人がいるらしい。念のために書いておこう。「けがのこうみょう」と読む。「カイガのこうみょう」とか。「けがのコウメイ」ではない。

 さて、一月ほど前、「とうとう主夫役を」を書いた。その後の経過報告をしようというのが、今日のテーマである。妻が肩を痛めるというアクシデントがあり、主夫役をしぶしぶつとめることになった。その後「仕方がない」から「面白いじゃないか」へと変わってきた。妻は「しめしめ」と思い、私が「楽しみ」、夫婦ニコニコして台所仕事や庭仕事にいそしむ。これぞ「怪我の功名」ではないか、というわけである。

 もともと嫌な労働は、まったくしないか、やるとなれば何か楽しむネタを見つけて「労」を「楽」に変じるというのが、私の手法である(同様なことを「アイロンかけ入門」にも書いた)。今度もそれをやってみた。まず料理の下ごしらえのための野菜刻み。やるとなれば、ウデを磨いてやろうじゃないかと考えた。始めてすぐ、包丁が切れないことが分かった。妻から包丁を研いでよとしばしば頼まれたのはこのことだったか。そこで作業に取りかかる前に、毎回包丁を研ぐことにした。砥石は無い。いや、妻が結婚した時に持参したものはあるのだが、気に入らなかった。いかにも働けというツラをしている。外来の研ぎ機を使ったりしていたが、最近ではセラミックの研ぎ棒を使う。安直だが、棒でこするだけで、しばらくは切れるようになる。すぐになまくらになる。私が刻み屋になってからは、毎日、毎回研ぐ。たまたま包丁を手にした妻は、なまくらに慣れていたので、切れ味を知らぬまま使って、指の皮を削いでしまった。小気味よかった。これが私の「楽」である。

 野菜刻み。わが家は野菜をたくさん食べる。朝食には、特製野菜ジュースを食する。セロリ、にんじん、リンゴ、バナナに豆乳・ハチミツ・レモン汁を加え、ミキサーでどろどろのジュースにしたものである。朝起きると、その材料を刻むのが最初の仕事になる。セロリ、にんじんなど固い野菜は薄くこまかく刻んでミキサーに入れる。

 けんちん汁は冬になるとよく食べるメニューだ。わが家特有の調理法が伝わっている。妻も結婚早々に調理法を私の父から伝授され、マスターした。他の家事には無頓着だった父は、けんちん汁だけにはうるさかった。すべての材料をこまかく刻み、油炒めしてから汁にする。豆腐も汁に入れる前に潰して、水気が無くなるまで油で炒る。わが家のけんちん汁を食べ慣れていると、よそでけんちん汁とか、けんちんうどんなどを食すると、これが「けんちん?」と疑ってしまう。角切りした豆腐、大きく切った野菜などが汁の中で泳いでいる。これでは「豚汁」ではないか。うちのは具だくさん。汁から具が盛り上がっているほどのものを好む。大鍋いっぱい作り置きするのが通例だから、いざ作るとなると、材料を刻むだけで、一時間はかかる。先日これに挑戦した。にんじん、大根、ごぼう、蓮根、こんにゃく、里芋など。里芋だけは軽く茹でたあと少々大きめに切るが、それ以外はこまかく刻む。けっこうな労働だが、野菜刻みのエキスパートになるぞ、そのための練習だと思えば、これも「楽」に変じる。妻はそばに立って、これはこのように、あれはあのようにと、刻み方を指導する。最初の頃は包丁使いの不器用さに呆れていたが、今では安心して見ている。

 まだ独立して料理を準備することはしていない。料理のアシスタントとして、労力を提供するのにとどまっている。それでも次の食事は何にしようかと、積極的に相談するようになった。次はどんな「労」が待っているか。それが楽しみになってきた。あるいは、料理法にもアイデアを出すこともある。私がアシスタントをするようになって、メニューに若干の変化が出てきた。ふたりでキッチンに立つのが楽しい。妻ひとりで料理をしていたときより楽しくなった分だけ、料理が進化したのである。これも怪我の功名か。

 洗濯物をハンガーに干すのも私の仕事である。ここでは工夫をして「楽」にしている。この冬は晴天が少なく、屋外に干せる日はあまりなかった。このところ花粉の飛ぶ時期となり、花粉症の妻は、外に干すことを避ける。ということで室内(わが家の場合はサンルーム)に洗濯物ハンガーを使ってぶら下げる。乾きが遅い。そこで私が一工夫、「立体干し」なる吊り方を生みだした。下着やシャツの類はふつう洗濯物ハンガーの両端のクリップ二つで吊すだろう。それを「立体干し」では、四つ使って吊るである。たとえばTシャツ。下端の4カ所をクリップで留め、真ん中に空間を作る。2カ所吊りでは前後2枚の布が重なってしまう。4カ所吊りにより、間に隙間ができ、通気性がよくなり、早く乾くはずというのが私の理屈である。バスタオルも両端を止めるのでなく、上から見て「コ」の字、あるいは「フ」の字型に吊す。エントツ状にして上昇気流が通るようにならないかと考えてのことだ。ちょっと理屈が弱い。シャツなどもハンガーにゆとりがあれば、何カ所もクリップ留めして、できるだけ立体的にぶら下がるようにする。洗濯物ハンガーは倍以上の数必要となるし、ぶら下げる場所がたくさん要ることになるが、そんなのかまいはしない。そんな遊びをやって、洗濯物干しという作業を楽しむのである。妻は呆れている。

 庭付き一戸建てに住むようになって以来、園芸は妻が好きでやっているとして、庭仕事には手出しせずに来た。たまに樹木の大枝を切るなど、男手が必要となったときにはしぶしぶ手伝った程度である。それがこのところ変わってきた。これは妻の怪我以前のことだったが、車を2台から1台に減らしたため、車庫スペースにゆとりができた。そこをプランターで埋めたらどうだろうと、言いだしたのが私である。どこの世界とも同じく、わが家でも言い出しっぺがやることになっている。大型プランター6個と園芸用の土などを買い、チューリップ、ヒヤシンス、パンジーなどを植えた。結婚以来の珍事と妻は見守るだけだった。パンジーは次々に花を咲かせる。早めに花を摘み取るのが、春になるまでに株を大きくするのに必要と聞いて、毎朝花を摘み、小さなグラスなどに挿して室内に置いている。花を飾るなどしたことがなかったので、妻は私の変貌に驚いているようだ。これも楽しい。水戸の比較的厳しい朝の寒さをしのぎ、芽の育ちを促すために、チューリップとヒヤシンスを植えたプランターを夜は軒下、昼は日当たりのいい場所に移動する。雨が降れば雨に当て、晴れが続けば水やりをする。つい先日は混みすぎるほど育ったパンジーをプランターを2個増やして植え替えた。同じ日に車も洗った。近所の人には私は家では一切働かない人という評判が届いているので、見間違えたのかとビックリした表情で通り過ぎる。これも楽しい。

 ともかく、妻の「怪我」は、私に意識革命を促した。「怪我の功名」である。しかしこの変化は、意識の日常生活への埋没をもたらしたようだ。きれぎれの時間はあっても、野菜刻みから、読書と思索の生活への切り替えはままならない。

 妻の腱板損傷の回復は思わしくない。X線写真を撮り直した医者は、やはり手術しましょうかと言いだしているらしい。どうやらさらなる「楽」の発見が必要のようだ。

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コメント

4カ所吊りにより、間に隙間ができ、通気性がよくなり、・・・
花粉症の私は今の時期は室内干です。
さっそく、試してみます。

投稿: 一人 | 2009/03/15 17:54

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