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2009/04/23

野町和嘉写真展・『聖地巡礼』

090423nomachi

  【『霧の中の沐浴』写真展チラシから転載】

 野町和嘉の写真展『聖地巡礼』を見た(東京都写真美術館、09/3/28-5/17)。野町が、35年にもわたって撮り続けているテーマは一貫していて、過酷な自然の中での人々のたくましい生きざま、特に彼らが超越者に依り縋り、祈り、献身し、救いを求める姿である。今回の展覧会では、この1,2年インドのガンジス川(現地語では「ガンガー」)を、上流から下流まで、そして雨期の増水時期にも出かけていって撮影した新作と、これまでのアフリカ、イスラム、アンデスなどの作品とをまとめて展示している。過去の写真展や、数多く出版された写真集などで見たものもあるが、壁一面の巨大サイズを含む大小のプリントの迫力はさすがだし、何よりテーマの訴求力には圧倒されてしまう。

 今回見た中で、私にとって、特に印象深かったのは、「カンワリア」と呼ばれる巡礼の行事だった。インド・ビハール州のスルターンガンジ。そこを流れるガンジス川から汲んだ水を、109キロ離れた聖地・デオガルの寺院にまつられるシバ・リンガ神像に注ぐまでの巡礼の行事。これが何ともすごい。増水期の水が特に若水として意味があるらしく、7月中旬から8月中旬に集中して巡礼者が殺到する。一日20万人、この時期全体では500万人を超える参加者が、水を汲むところから始まって、109キロを裸足で歩き通し(途中仮眠をとり、2日から4日かかる)、寺院の神像に注ぐまでの苦行に耐えるさまが、6枚の組写真に写されている。最後は幅わずか3メートルの寺院入り口めがけて巡礼者がひしめき合う。このため4キロもの列ができ、10時間もかかる。狭い入り口前の押し合いへし合いの大混乱ぶりがすごい。ガンジスの水の入った容器を掲げて押し合う大群衆を上から俯瞰で撮っている。圧倒的なエネルギーを見せてくれる画像だ。それにしても、もっと整然とやればいいのにと思ってしまうのだが、この無秩序さがインドなのだろうし、常識を越えた熱気こそが宗教的な情念を高めるのかもしれない。
 【この写真展の主な画像20枚を野町和嘉のHPで見ることができる。その11枚目にこの画像がある。】

 写真展の最初のパネルに、野町のメッセージが書かれている。少し書き取ってきた(全文を書き写そうとして、後半はギブアップ、断片だけ。同じ文は、写真展カタログに掲載されていない)。

 イスラームの聖地であるアラビアのメッカから、カトリックの総本山であるヴァチカンへ。熱烈な仏教信仰が息づく極限高地チベットから、エチオピアとアンデスに受け継がれた独特のキリスト教世界まで。そして、アジアの信仰の源泉であり、多彩なインド世界を貫く、祈りの川カンガー(ガンジス)へと、地球上に息づく濃密な宗教聖地を巡ってきた。
 私が宗教と向き合うきっかけは砂漠での体験だった。乾燥の極地に点在するオアシスで暮らす人々にとって生命線はひとつの泉である。枯れることのない泉こそは、神の賜物であり、生かすも滅ぼすのも神の意志一つであるとする明解な信仰がそこにあった。人々の祈りには、日々無事に生かされていることへの感謝が滲み出ていた。
 一方で、・・・宇宙スケールですべてを司る何かが存在するかもしれぬとの思いを受け入れるのに違和感はなかった。・・・。
 聖地は、超越したある存在に向き合い、心を開く空間。・・・。
 祈りの形はさまざま。・・・。
 巡礼を終えての達成感、・・・宗派を超える。
 私たちの社会は、生産性の亡者、・・・、宗教的なものを非合理と。
 世代を超えて受け継ぐべきことの核心が見えにくくなっている。
 宗教を家族という言葉で言い換えてもいい。宗教が家族の絆になり、社会の核となっている。それがイスラーム世界。

 野町は、宗教と祈りが生きている社会に、長年向き合い、宗教の表層はそれぞれに違うが、人間が生きることに関わる核心的なものは、共通して、いわば普遍的に存在していることを感じとっているようだ。野町が生々しく写し取ってきた迫真の画像と向きあうと、いったい人間にとって、社会にとって、宗教とは何かとの問いを突きつけられる。そこでは何々教であるという、宗派の区別は問題ではない。私たちの日常と違って、生きることと宗教とが一体化している、そのように生きている人々の集団が、世界のあちらにもこちにもある。野町の写真は、西欧的合理主義に傾きがちな日頃のものの考え方を激しく揺さぶってくる。

 スピリチュアリティ(霊性)は脳内現象に過ぎないと、宗教的感性を持たない私は常日頃考えているが、そのような小理屈とはレベルの違う現実がここにある。世にあまねく存在する宗教現象を、人間の自然な、あるいはほとんど必然的なあり方として受け入れざるを得ない。人が厳しい自然のなかで、あるいは難しい人間関係の中で、さらには生死の際に立って、苦しみ、うちひしがれ、それでも何とか生きていこうとして、何かを求めていく。そこから呻くように発せられた祈りの言葉、儀式が、集団の中で伝統として伝えられていき、磨き上げられていく。こうして生まれた宗教は、人間が生きていくことの深刻さや哀しみの現れなのだろう。苦悩の中から超越と解脱を求める必死さにリアリティを覚えながらも、空無に向かって求め続けるしかない人間のあり方に哀れを感じずにはいられない。

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