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2009/05/03

結婚50周年

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【この機会に、古い写真をお目にかける。71年秋、子育て真っ盛りの時期。長男:小4、次男:小1の頃である。私らは36歳】

 今日は、私たち夫婦にとって、結婚50年の記念日である。格別のことはないが、私たち夫婦の50年を回顧してみる。

 50年前、昭和34年(1959年)の今日、父が牧師をしていた東京渋谷区にある教会で結婚式を挙げた。日曜日だったから、午前の礼拝の終わったあとだった。伯父の静岡教会牧師・深町正勝に司式してもらった。式が終わったあと、同じ会堂で、ベンチの配置換えをして、質素なティーパーティで披露をした。会場の準備ができるまで、屋外でおいでいただいた人々に囲まれて談笑した時の記憶が鮮明である。晴れた、初夏に近い日差しを感じる日だった。とても暑かった。学校の友人、職場仲間、教会の友らをお招きしていた。

 その一年前に大学を卒業し、茨城県東海村にある研究所に物理の研究員として勤めはじめていた。妻になったみやとは、小学校から中学にかけての幼なじみであった。家族ぐるみの付き合いのなかで、互いを結婚相手として意識するようになり、私の就職後まもなく婚約し、一年後結婚することになった。この年は今の天皇、当時の皇太子が美智子さんと4月10日に結婚され、あやかり婚が多かった。私たちも形の上ではその一組である。

 給料がわずか1万数千円の安月給、24歳の若輩だったが、職員住宅が整備されていたし、当時の生活水準からすれば、何とか生計は立てられると結婚に踏み切った。僻地ゆえの特別手当がつくほどの田舎にみやは、よくぞ飛び込んできてくれたものだ。後に3種の神器と呼ばれるようになったテレビ、電気冷蔵庫、洗濯機はまだ高嶺の花で何も持たなかった。みやは長男が生まれたあと、かなり遅い時期まで、洗濯板を使っていた。テレビも普及は始まっていたが、新居に住んでまもなく親しくなった向かいのお宅に、これはという番組の時に呼ばれて、見せてもらいに行った。「バークに任せろ」とか「ハワイアン・アイ」などを覚えている。

 結婚2年後と5年後に、いずれも男の子が生まれた。女の子を持たなかったことは、人生経験の欠落部分で、いまでも残念だ。

 結婚50年の家族の歴史を振り返ってみると、いくつかの時期に分かれる。東海村での新婚と子育ての時期。水戸の住宅へ移っての子供の教育の時期。アメリカへ家族で滞在した時期。子供が大学受験し、巣立っていった時期。私の仕事内容が変わり、東京に単身赴任した時期(単身赴任といっても、週単位の長時間出勤みたいなものだったが)。私の第2の就職にともない、姫路に二人で住んだ時期。そして退職して現在に至る時期、ということになろう。なかでもアメリカ滞在が、家族史でのハイライトで、それぞれのその後の人生に大きく影響した。また夫婦にとっては、私の単身赴任と関西への移住が、大きな変化の時期だった。子供たちとの関係でいえば、親が地方住まいで、子供が東京の大学へ行ったので、子供たちが家を離れて独立していき、夫婦二人だけの生活になる時期が早かった。

 いつかも書いたことがあったと記憶するが(ここ)、私らは、親子関係より夫婦関係を優先するという考えでやってきた。結婚50年を振り返ると、親子でいた時期より、夫婦二人という時期のほうが長かった。親子で話すより、夫婦で話すことのほうが多かった。子供は放任しておいても、なるように育つという主義だった。それでいながら、陰に陽に期待の大きいことを子供たちは感じていたことだろう。上の子には、親の期待という重圧をかける一方、自由にさせすぎ、そのちぐはぐなところがマイナスになったように思う。下の子は兄を反面教師に学んで堅実に育ったところがある。兄は紆余曲折を経て今は無難な暮らしのなかで、二人の男子の子育てに苦労している。逆に弟のほうは、年とともにアグレッシブな生き方に目覚めていき、若年の頃からすると予想できないほどリスキーなビジネスマン生活をしている。40代半ばで未婚である。親の性格はどのように受け継がれているか。概していえば、上の子は私に、下の子はみやに似ているともいえるが、逆転している部分もある。下の方に書く、私ら二人の性格対照分析をご笑覧の上、改めて上記数行をお読みいただきたい。

 個人史で顧みれば、私の場合はこうなる。研究所に入り、原子力の基礎物理の研究をスタートした時期。専門を中性子散乱による物性物理に移し、その分野の研究者として一人前になっていく時期。そして研究者としてピークだったアメリカ滞在とその後の10年間。この間しだいに研究管理に重点が移り、とどのつまりは研究所の経営企画の仕事に新たな生き甲斐を感じるようになった時期。役員となり、関係機関への再就職(いわゆる天下り)までしたあと、66歳で退職するまでの時期。そしてその後、過去の職歴と縁を切り、自由人として気ままに遊び、いまや老境を迎えつつある時期。

 妻は、この間断続的ながらずっと高校教師の仕事を続けてきた。二人の子を産み、子育てに追われながらも、お手伝いさんに住み込んでもらったり、通いのハウスキーパーを頼んだり、保育所に預かってもらったりして、仕事を続けてきた。中間期はパートタイマーの教師だったが、最初と後半は専任の教師であり、最後は学校として責任ある立場まで勤めた。お互いに生き甲斐のある職業を持つことが、結婚当初からの目標だった。私たちの世代では、夫婦共働きはそう楽なことではなかった。家庭を持つ女性が働くには、社会的理解も低かったし、環境も悪かった。この面は現在でも、欧米先進国やアジアの諸国に比べ、日本は後れている。妻が働き通せたのは、本人のたいへんな努力に負うところは大であるが、みやは私の目から見ても「いい先生」だったからだ。まじめな努力家だし、生徒からは「生徒思いの先生」として慕われた。学校の首脳部にも信頼があつかった。そんなことが、続けてこれた大きな理由だろう。二人してやりがいのある仕事を続け、十分に満足して働き終え、いまは退職後の生活をエンジョイしている。いい夫婦だったと思っている。

 夫婦関係については、最初のころは夫唱婦随の亭主関白のつもりだった。二人のことは、夫がリードし、責任を持つ、という意味でだ。しかし妻は次第に男女対等論者へと変化してきた。それとともに私の父権主義的態度は後退の一途である。今や大きな声で時折の口舌バトルを押さえつけることで、夫の面目を保持している。情けない。

 「割れ鍋に綴じ蓋」というが、夫婦の性格はよくしたもので、互いの性格は対照的に際だってくる。よくいえば欠点をおぎない合うということだが、ありていにいえば、こんなに違ってよく一緒におれるという面がある。
みやはまじめ一筋、こちらは脱線を好む。
みやは堅実、私は少々の破綻はかまわないというほう。
みやは整理好き、私は散らかしっぱなし。
みやは働き者、明日やればいいことを今日やろうとする。
私は怠け者、今日やらなくてもいいことは、明日に先送りする。
みやは前のめり、私はどっしり構えて、ゆっくり立つ。
みやは常時ハイテンション、何かせっせとやっている。
私は常時スローペース、何もせずにボーッとしている。
だからみやはぶつかったり、転んだり。骨折ねんざなど数回。現在肩の腱板断裂治療中(ここここ)。
私は転んだり、怪我をしたことがない。
みやは節約家、私は浪費家。自分では、必要なもののために適時に有効に金を使っているつもりだが。
みやは実際家、私は理屈屋。
みやはやってみせればいいといい、私は理屈が通らなければ納得できないという。
みやは保守的、私は新しもの好き。
みやは控えめに振る舞い、私はアグレッシブ。
ところがこれは家庭内と外で大違い。
みやはうちの中では、お山の天下と振る舞い、大胆不敵な面も。私は外ではアグレッシブだが、家庭内ではあれも危ない、これも危ないと言い続ける。
みやは園芸好き、私は庭仕事は一切しない。最近みやの健康状態の変化で私も手出しするようになったが。
対照点を書けば、まだまだいくらでもあるが、このへんで。

 読書は共通の趣味である。かつては同じものをそろって読んだ。
 若いころ、夜、時間があるときに、刺繍をするみやのそばで、トーマスマンの「魔の山」を読み聞かせたことがあった。大部の小説だからずいぶん時間がかかったが、完読した。ほかにもあれこれそうして読んだが、何だったか、「魔の山」だけが記憶に残っている。
 いまは、読むものは全く違い、みやはノンフィクションものを雑読し、私は思想系の小難しいものを読む。私は村上春樹を読むが、みやは米原万里がお気に入りのようだ。
 みやはもっぱら文庫本を慎重に選んで買い、私は多少なりと関心のある本は買い求める。個人としての蔵書は文筆家や文系専門職は別として、かなり多い方だろう。みやは私の死後どう始末するか心配している。

 まあ、こんな結婚生活50年だったが、天皇の美智子皇后への言葉と同じく、「感謝状を贈りたい」という気持ちである。

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コメント

アクさん みやさん

金婚式をお迎えになったそうで、おめでとうございます。
このお写真、本当にすべてを語っていますね。
とっても素敵。

みやさんの美しさも輝いていますが、アクさんのお顔からも、やはりただものではない妖気がただよっていますよ。

そんなわけで陛下に倣って「感謝状贈りたいを」とか。

ああ、出来ることなら私も主人から感謝状を頂きたいけれども、みやさんのように、50年も頑張れないから仕方ないと介護に励んで、今までの罪滅ぼしをいたします。

そういえば、私も「魔の山」に挑んだことがありますが、何ページも読まないうちに、放り出しましたよ。

そういう読み聞かせをしてくれたんですね。羨ましい!
アクさん、感謝状もいいけれども、これからはみやさんに思いっきり尽くしてくださいませ。

みやさんの友人より。

投稿: 美千代 | 2009/05/08 12:18

美千代さん

励ましていただいて、ありがとうございます。

 本人としては、大いに尽くしているつもりでおりますが、仰せにしたがって、「思いっきり」尽くす所存です。「思い」の大きさについきましては、お任せいただきます。

 ところで「妖気」とやらは、見当ちがいでしょう。「陽気」の変換ミスでしょうか。そんなはずはない?・・・さて?

投稿: アク | 2009/05/09 20:47

50周年おめでとう御座います。

東海村へ、3月に行ってきました。
アクエリアンさんが結婚された1959年に私は生まれました。
その当時の東海村は、想像できません。

ロングアイランド(SUNY)には、2005年に行きましたが
アクさんの滞在時は、やはり想像できません。

これからもブログ楽しみにしております。

投稿: 一人 | 2009/05/10 14:33

一人さん

おめでとうのご挨拶、ありがとうございます。
東海村と、ロングアイランドと、ご縁のある方ですね。それに私たちが結婚した年の生まれ。こちらは結婚50年。一人さんは、50歳になられる。

ロングアイランドは、私も'05年に訪れましたが、それほど大きく変わっているとは感じませんでした。おりに触れれて何度か訪れている故でもありましょうか。日本の変化の早さはむしろ驚きですね。

ブログエントリはぼちぼちとしか書けませんが、お読みいただいてうれしいです。

投稿: アク | 2009/05/10 21:34

ご自身の目についての過去の記載内容からすると軽い脳梗塞にかかっているように解釈できますが、いくら軽くても自覚症状が出るくらいであれば、MRI撮影で確認できますから、脳の壊死している箇所の確認をした方がよいでしょうね。検査費用は1万円くらいです。

投稿: 医師 | 2009/05/11 03:18

共に40を過ぎて結婚し、既に健康不安もある私には金婚式は難しく思えますけれど、先ずは現在高校生の一人娘が学業を終えるであろう銀婚式まで、出来れば孫の顔を見るまでは二人そろってというところですね。
お二人のご性格、小さいころから今にいたるまで良く転ぶのは私である点を除くと、丁度反対ですね。また、園芸に関しては二人とも好きで、数百km離れた別居結婚なので、今日の話題はそれぞれの枇杷の実の生り具合でした。
ぜひ、ダイアモンド婚式を目指して、楽しい毎日をお過ごしになられますように。

投稿: Viola | 2009/05/29 03:10

Viola さん

ありがとうございます。

結婚生活、長さより、内実でしょう。数百km 離れた遠距離結婚を続けておられると、はじめてうかがいました。ご苦労もあろうかと思いますが、逆にお二人の結びつきが慣れに陥らず、日々新たという面もあることでしょう。

転びやすい性格は年齢とともに深刻になります。お気をつけください。みやは旅行中、またも転びました。どうにか帰ってきましたが、これから整形外科通いです。

投稿: アク | 2009/05/29 10:28

ブログ記載内容から判断すれば、あなたの父親が牧師ということは、あなたもプロテスタントの道を歩み、途中で考え方を変えたようですが、なぜ、最後までまっとうできなかったのでしょうか。

投稿: カトリック | 2009/05/31 20:54

カトリックさん

ひとことでお答えできるようなことではありません。このブログで「宗教、とくにキリスト教」というカテゴリーのもとに書いてきたもの、あるいはHP本館の関連箇所などを読んでいただけば、私がキリスト教に対して、どのような考え方に至ったかを読んでいただけると思います。

教会内の人間として育ったが故に、たくさん考え、悩み、決断した結果です。

投稿: アク | 2009/05/31 22:47

先にご指示いただきましたいくつかの記事を読ませていただきました。本当にありがとうございました。それでもなお質問させていただきますが、あなたは旧約聖書を原典のヘブライ語、新約聖書を原典のギリシャ語で吟味いたしましたか。そのような本気の世界を体験したことが一度でも有りましたか。

投稿: カトリック | 2009/06/02 18:03

カトリックさん

重ねてのコメントにこの件を問い詰めようとのご熱意を感じます。私も大いに受けて立つもりがあります。

お答えする前に、このような問い方に、どれだけの真実味があるのか、逆に問い返したいです。キリスト教を理解するために、原典をヘブライ語なり、ギリシャ語で読んで「吟味する」ことが、何より優先して必要なことなのかと。

私には、既成の教義なり、神学の先入見なしに、日本語の口語訳聖書を読み、そこでまずイエスの言葉と生き方を自分なりに理解しようとしてみること、そしてイエスが現れるに至った、イスラエルの人々の歴史と伝承を読んでみることが、いきなり原典研究に入ってみるより大事だと思えます。

原典に基づく文献研究から、現行聖書に書かれれているイエスの姿が、後世の加筆によっていかに歪曲されて伝えられているかなどが分かってきます(たとえば大貫隆「イエスという経験」岩波書店)。旧約聖書についてもイスラエルの伝承がいくつかの原伝承の寄せ集めであるかが分かってきます(創造物語の重複とか、モーセ伝説の異同とか)。

それは聖書学の多年にわたる研究の成果であって、一個人、それも素人が、いきなり原典を読めば読み解けることではありません。

原典を読んで、本気の世界を体験する、といわれるのは一見本当そうですが、事実問題として、そんなものではありません。また原典を読んで、多年にわたり研鑽を積んでいる人が、一番真実が分かっているというものでもありません。

問われたことにお答えすれば、新約聖書ギリシャ語については、私はある程度学んだこともあり(今では余分なことまで手を出したものだと後悔しているますが)、本文をベースにした釈義書は読むことができます。ヘブライ語は勘弁してください。それは旧約聖書学者にお任せしましょう。ただ彼らの文献学的成果は、読んで理解できます。

繰り返しになりますが、原典に立たなければ、キリスト教に本気に向き合ったことにならないとおっしゃるなら、それは必ずしもそうとはいえないです。要は自分でまずどれだけ真剣に人間の世界全体のことを考え抜き、その中で宗教の問題に向き合ったかです。

あとは原典研究とか,思索とかを超えた、霊的な体験の問題があります。信じるかどうかは、原典を読んだかどうかというより、そのあたりにあるようで、私はそのあたりがクールというか、感性がないのだと思っています。

投稿: アク | 2009/06/02 21:19

かわらずブログを拝見しています。
お二人のやり取り、関心を持ち読まさせてもらいました。
宗教的霊性に関しては、religious unmusicalという言葉で、アク先生がかって言及されていたことを思い出しました。

お元気でなによりです。
ご自愛ください。

投稿: sollers | 2009/06/11 20:06

sollers さん

 お読みいただいて、ありがとうございます。

 そうですね、スピリィチュアリティが信じる人にとっての最後の拠り所でしょう。それは個人の体験としてしか言えないものです。そんなものは所詮、脳の産み出す現象に過ぎないと主張することはできますが、その主張はもっともらしいと言えても、根拠はありません。ドーキンスのように「神は妄想である」などと私は強く主張するつもりはありません。

 自分の生きる根拠を求めて、スピリチュアリティに何かを見いだす人には、私はそれについて感性が鈍いのですと言い、彼/彼女らの信心を敬して、見守るしかないのです。

 他方、制度としての宗教が人間に多くのマイナス面をもたらしてきたという歴史のことは、常に心しておかなければならないと考えています。

 宗教というものの光と影、それが人間の歴史に絶えず随伴してきましたし、これからもそうでしょう。進化の過程でこのような感性と知性を持つことになった人間というものの宿命でしょう。

投稿: アク | 2009/06/11 21:37

御多忙の中、私の拙い思いに御教示をいただき申し訳ありません。
アク先生の立ち位置の明確さに思いをはせることができました。
生意気なようですが、レヴィナスの言葉を引用します。

 宗教を精神化することは、その経験を現在の科学的成果に照らし合わせて判断するということではない。そうではなくて、宗教の経験そのものを知性間の関係として、すなわち意識と言説の十全な光のなかで理解することである。

     エマニュエル・レヴィナス    法政大学出版局  「 困難な自由」

投稿: sollers | 2009/06/12 19:54

sollersさん

あのぅ、言いにくいんですが、「先生」だけはやめてください。私は「先生」として偉そうなことを言っているつもりもなし、そういわれるのが嫌いなのです。すみません。

投稿: アク | 2009/06/12 20:56

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