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2009/10/04

政権交代で日本の「過保護」文化が変わる?

 民主党政権が誕生し、動き始めている。政治の大きな転換を図っているから、さまざまな困難が予想されるが、先行きを期待したい。これに関連して、小説家・池澤夏樹が、過保護な日本社会の変化を期待すると、新聞に書いている。紹介して見る。元記事は、朝日新聞への定期寄稿欄である(09/10/03夕刊「終わりと始まり、上から降る言葉、民主で〈過保護〉も変わる?」)。

 池澤は5年ほど前にパリに移り住んだあと、日本に帰ってきた。欧米社会に住んだあと帰国した人が、日本社会についてほぼ共通に覚える違和感がある。それは社会に充満している過剰なお節介である。町を歩いても、エスカレータに乗っても、電車に乗ろうと駅へ行っても、賑やかで、うるさい言葉の数々が「上から降ってくる」。音声であったり、表示ボードの文字であったりする。池澤は、フランスで、その種のものを、耳にしたり、目にしたことはない、と書く。逆に「日本の買い物には会話がない」、「日本はまるでロボットの国のようだ」とも感じる。

 その原因を、池澤はまず軽く「気配りと思いやりであり、安全はすべてに優先するという」「家父長的な保護主義ではないか」としている。私はこのブログで何かにつけて書いたことがあるが、1)気配りとか思いやりというより、事故でも起こったら、ちゃんと注意を促していますという責任逃れの面と、2)人々を自己判断の下に行動できる「大人」として扱わない未成熟社会の面とが、裏にあるのではないかと思っている。

 池澤は、さらにその原因を深く考察し、日本は「官から民へ言葉が降る」社会なのだと見抜く。官が、おまえたち民を治めてやるから、いうことを聞きなさいとする一方、民の言葉など聞く耳を持たない。この社会的雰囲気の中では、民と民との間の言葉のやりとりすら憚ってしまう。デモやプラカードを掲げての抗議行動とかストライキが、日本社会では、最近ほとんど見られないことを、池澤はその現れと見る。ここで「官」とは、いわゆるお役所のことだけでなく、もっと広く「その場その場の管理者という官っぽい立場の人」のことで、そこから「管理される一般の人たちへ」言葉が降るのだ。

 このような社会にいると「官が強いからある種の雰囲気が醸成され、慣れてしまうと気がつかない」。そんな状態に日本社会がなってしまったのは、「自民党政権があまりに長く続いたので、官はこの党と和合してやっている限り、一切を自分たちの判断で進めていいと思うに至った」のではないかと池澤は推察する。日本社会を農業にたとえれば「連作障害の状態」。「畑の土は」「疲弊して固化した」ような状態になっている。深く耕し、「別の作物」を植えるしかない。政権交代によってこの社会の雰囲気が「官が民に耳を開く」方向へ変わることを、池澤は期待し、「それだけでも政権交代の意義がある」と、締めくくっている。たしかに日本人は政治を「お上」のものとし、自分たちが主権者であることを忘れがちだ。「過保護」な社会を生み出し、慣れてしまっているのは、そのあたりの意識の持ちように問題があるのだろう。

 日本の現代政治史でおそらく後世に歴史的と記録されるであろう選挙が行われ、私らが目にしたことのない政治の世界が現出しつつある。選挙民の多数が変化を望んだのだ。新政権発足直後から日々政治が変わり始めていることを実感する。その変化が、政治の世界だけでなく、私たち日本人が長年にわたって慣れてしまった「過保護」で、お節介で、自立心の足りない無責任社会の雰囲気を変えるところまで浸透してくれたらと思う。このような社会であることに、私たちは"No!"を告げたのだ。ひとりひとりの意識改革も必要だろう。

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