2010/08/12

岡井敏『原爆は日本人に使っていいな』への疑問

 タイトルとした本が出版されたので読んでみた。原爆が日本人に対する人種差別意識のもと広島・長崎に投下されたことを示す『覚書』があること、その事実に基づき原爆を犯罪として糾弾するべきであること、それを起点に核廃絶運動を再出発すべきことを訴えている。

 一読してその主張の正当性に疑問を抱いた。原爆開発の進捗状況と戦況の推移とを両にらみしながら原爆投下がどのようなプロセスで決定されたか。その全体像についての客観的理解なしに一文書だけを取り上げ、さらにそれをかなり曲げて解釈して問題だ、問題だと騒ぎ立てているように思える。

 その覚書の中に 〈when a "bomb" is finally available, it might perhaps, after mature consideration, be used against the Japanese" 〉との一節がある。「日本に対して」ではなく「日本人に対して」という表現が使われているところに人種差別意識が顕れているというのが著者の主張だ。しかし、英語の表現としてそれほどの差があるだろうか。これが疑問の一点。

 岡井はさらに、原爆開発を始める動機となった「ドイツに先を越されるな」からすれば、当然予想される「ドイツに対して」でなく、なぜ「日本に対して」なのかを問題にし、人種差別が根底にあるとしている。しかし覚書が書かれた頃の戦況からすれば、ドイツ戦の終息が見えてきており、原爆は日本に使うことになろうとしたのは当事者からすれば自然な推移と思われる。これが岡井の主張に対する疑問点の2。

 この『覚書』(ハイドバーク覚書と呼ばれている。ローズヴェルト大統領の私邸のあるニューヨーク州ハイドパークで会談が行われた)は1944年9月(原爆投下の11ヶ月前)、ローズヴェルト米大統領とチャーチル英首相との会談での合意事項をまとめたもので、ある種の密約文書である。ところが米側ではローズヴェルト大統領によって握りつぶされ(外交文書として公的に扱われることなく、私邸の書庫に眠っていた)、大統領以外の誰ひとりその密約を知らぬ間に大統領は45年4月に亡くなってしまった。あとを継いだトルーマン大統領のもとでの原爆投下決定過程に、この覚書は全く影響を及ぼさなかった。この事実を著者はご存じないらしい。これが疑問の第3点。

 以下では、これらの疑問点を中心に過不足ない程度に書いてみるつもりだ。かなり長文になる。適当に拾い読みしていただきたい。

続きを読む "岡井敏『原爆は日本人に使っていいな』への疑問"

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2009/10/04

政権交代で日本の「過保護」文化が変わる?

 民主党政権が誕生し、動き始めている。政治の大きな転換を図っているから、さまざまな困難が予想されるが、先行きを期待したい。これに関連して、小説家・池澤夏樹が、過保護な日本社会の変化を期待すると、新聞に書いている。紹介して見る。元記事は、朝日新聞への定期寄稿欄である(09/10/03夕刊「終わりと始まり、上から降る言葉、民主で〈過保護〉も変わる?」)。

 池澤は5年ほど前にパリに移り住んだあと、日本に帰ってきた。欧米社会に住んだあと帰国した人が、日本社会についてほぼ共通に覚える違和感がある。それは社会に充満している過剰なお節介である。町を歩いても、エスカレータに乗っても、電車に乗ろうと駅へ行っても、賑やかで、うるさい言葉の数々が「上から降ってくる」。音声であったり、表示ボードの文字であったりする。池澤は、フランスで、その種のものを、耳にしたり、目にしたことはない、と書く。逆に「日本の買い物には会話がない」、「日本はまるでロボットの国のようだ」とも感じる。

続きを読む "政権交代で日本の「過保護」文化が変わる?"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/08/01

第1、第2の「マンハッタン計画」?

 最近の金融危機を話題にするなかで、「第2のマンハッタン計画」という言葉が使われている。「金融工学」の名の下に、それまで理学分野とは無縁であった金融の分野に数学や工学分野の研究者、それもベスト・アンド・ブライテストが参入し、協同して「デリバティブ」とか「リスクマネージメント」などの理論を高度に発展させた。その行き過ぎが今回の金融危機を招いた。彼らが結集した場が、ニューヨーク市マンハッタンのウォール街であったことと、かつての原爆開発開発が「マンハッタン計画」と呼ばれたこととがどこかで結びついて、この金融工学の異様な盛り上がりとある意味での破綻を「第2のマンハッタン計画」と呼んでいるらしい。「第2」のほうはともかく、「第1」のほうは、マンハッタンとは何の関係もない、偽称もしくはある種の暗号であることを、原爆開発史を多少なりと読んだことのあるものは知っている。誤った歴史が語り継がれることのないように、この「第1」、「第2」の話を受け売りする人々に歴史的事実を指摘しておきたい。

続きを読む "第1、第2の「マンハッタン計画」?"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009/07/24

「政権交代こそ必要、準備不足を恐れるな」(ビル・エモット)

 今度の選挙で「政権交代」か、それに近いことになるのはほぼ確実だろう。しかし、心配はある。民主党を中心とする勢力が政権を取ったとして、彼らが本当に国政を担えるのか、ということだ。細川ー羽田政権の二の舞になり、時を経ずして再び自公政権に戻ってしまうのではないか。そしてこのような機会がまた何年か何十年か後にしか訪れないのではないか。

 そんな心配は無用との力強い応援が、英誌「エコノミスト」のビル・エモット氏から寄せられている(朝日新聞09/7/15オピニオン欄、「準備のできた野党などない」)。少し詳しく紹介したい。氏は「エコノミスト」誌の東京支局長さらには編集長を務めた知日英国人。著書「日はまた沈む」で日本のバブル崩壊を予測し、「日はまた昇る」で日本経済の復調を予測したことで知られている。

続きを読む "「政権交代こそ必要、準備不足を恐れるな」(ビル・エモット)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/03/31

北ミサイルへの過剰な反応

 北朝鮮のミサイル発射に備えて、東京都心のど真ん中、市ヶ谷にPAC3ミサイルが配備された。「万が一」とはいえ、いざとなれば、ここから迎撃ミサイルが発射される。どんなものか見たことはないが、テレビで放映される画面を見ると、発射されたら、轟音が鳴りとどろき、火炎と煙がたちこめる。何発もの迎撃ミサイルの実弾が都心のビルや住宅の密集する街の上を飛んでいくことになる。【09/4/02追記あり】

続きを読む "北ミサイルへの過剰な反応"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009/03/26

『バオバブの記憶』、本橋成一の新作映画と写真展

 タイトルの映画と、本業の写真家としての同じタイトルの写真展を見た(オフォシャルサイト参照)。

 アフリカの巨木バオバブの樹形を見ると、

 「一本一本、みな違うかたちをしている。その幹に刻まれた模様は人と動物、虫たち、そして大自然と五百年も千年も付き合ってきた記憶なのだ。
 ついこの間まで人間も地球上の生きものたちと同じ時間の流れの中で生きてきた。いつからだろう。人間だけが走り出してしまったのは・・・。バオバブの記憶に聞いてみたくなった」。

 本橋成一は、映画の制作意図をそのように書いている(映画解説パンフレット)。また同じパンフレットで、バオバブの樹そのものだけでなく、「暮らしの中のバオバブを撮りたかった」と話している。そうして見つけたのが、セネガル共和国の首都ダカールから東へ100キロほどのトゥーバ・トゥール村だった。

続きを読む "『バオバブの記憶』、本橋成一の新作映画と写真展"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/02/24

利己心から強欲への暴走を止められるのか

 オバマ大統領は就任演説の切り出しの部分で「私たちが危機のさなかにあるということは、いまやよく分かっている」として、二つの点をあげた。第一は暴力のネットワークとの戦争状態。もう一つが、経済危機である。これについてはこう述べている。

 経済はひどく疲弊している。それは一部の者の強欲(greed)と無責任の結果だが、私たちが全体として、困難な選択を行って新しい時代に備えることができなかった結果である。(朝日新聞訳)

 米国の金融界の暴走の結果、世界全体が経済危機に陥っている。それが一部の者の「強欲と無責任」が引き起こしたものであり、政治経済システムがあらかじめ何らかの措置を講じて、その暴走を抑制できなかった。防止措置をとることは「困難な選択」だった。しかし経済システムが向かおうとしていたのは「新しい時代」であって、「困難な選択」をあえて行っての「備え」が必要だったのだ。短い言葉で、そのように指摘している。

 このような危機が起きたのは、経済活動を理論的に分析し、指針を与える「経済学」そのものに問題があったのではないか、それも基本的なところに問題があるのではないか。私はそんな疑問に囚われて、素人なりに読んだり考えたりしている(すでに2回、このテーマで書いている。その1その2、もごらんいただきたい)。

続きを読む "利己心から強欲への暴走を止められるのか"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/02/04

池田 vs. 五十嵐論争がきっかけ

 現在の経済危機の中での雇用問題を、一部のエコノミストが分析しているのを聞いたり読んだりした際に覚えた疑念を、この分野については素人だが、自分なりに考えてみたいと書きはじめている。前回は素朴な疑念をそのまま書いてみた。エコノミストが経済問題を論じる際に使うツール(経済理論)は、経済現象の事実にもとづいて構築されたもので価値中立的だ、というのは本当にそうなのか、ということだった。「事実」というのは、現実に起きることはかくかくしかじかだ、ということである。それに対して、現実に起きていることは、良くない、間違っている、このようにす「べき」だというのが、「価値」である。経済理論は、そういう「べき」に中立的であるというが、それは本当か。

 このような問題に気づいたのには、じつはきっかけがあった。今回はそのことについて書いてみる。池田信夫という人のブログある日のエントリが気になった。このエントリには事前の経緯があった。池田が五十嵐仁という法政大学教授の書いた本(『労働再規制』)を「読んでいけない」本という項目に入れて書評した。それに対して五十嵐が自分のブログで6回にわたって反論を書いた()。それに対して池田が回答したのが上記のエントリであった。それが私の目にとまり、私に問題意識を喚起したのである。いささか細部にわたるがおつきあいいただきたい。

続きを読む "池田 vs. 五十嵐論争がきっかけ"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/01/31

小分けして、片付けていく

 前のエントリに、大きな問題を抱えて、にっちもさっちも行かなくなった現状を書いた。ふと思い出したことがある。仕事術のヒントである。大きくて、難しい問題は、小分けして、できるところから片付けるといい。マネージメントの本でも読んだこともあるし、現役時代はそれでやってきた。退職後、時間があることをいいことに、あれこれの問題に興味を持ち、それをできるだけ包括的に、原理的なことから考えていこうとするようになった。そんな傾向に気づく。身の丈相応に、当座の納得ですませばいいのに、深く掘り下げようとする。それではいつまでもファイナル・アンサーに辿りつけない。第一、そんなものはありっこない。とりあえずの答えでいいのだ。そう気が変わると、気持ちも楽になった。

続きを読む "小分けして、片付けていく"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/12/17

ブッシュに抛られた靴の意味

 ブッシュが記者会見の席でイラク人記者から靴を投げつけられたことは、ブッシュのアメリカに対するイラク人の気持ちをあからさまに表現するものだった。ブッシュ・アメリカは、イラクへの侵攻の理由を,イラク人を圧政から解放し、イラクに自由と民主主義をもたらすことだとした(当初の大量破壊兵器の秘匿という理由が立たなくなったあとで)。しかしイラク人の本音は,そんな西欧側の価値観の押しつけなど要らない,むしろ大迷惑だ,多くの人が死傷し,治安は悪化し,生活の基盤が奪われた、出て行ってくれ、ということだろう。ブッシュのバグダッド最後の訪問の際に,一人の記者がその気持ちをあのような形で表したことは、劇的で,象徴的な出来事だった。

続きを読む "ブッシュに抛られた靴の意味"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

より以前の記事一覧