2010/12/12

When you are getting on in years

 When you are getting on in years (but not ill, of course), you get very sleepy at times, and the hours seem to pass like lazy cattle moving across a landscape. 〈年をとってくると、(もちろん病気ではなくて)、どうにも眠くてうつらうつらすることがある。そんなときには、まるで田園風景の中に動く牛の群でも見るように、時のたつのがものうく思われるものだ。〉
 妻は寝入りばなに本を読む。そのまま枕元のスタンドを消さず、本、雑誌、新聞などを手に持ったまま寝入ることが多い(注)。昨夜もそうだった。新聞がまるで3角屋根のテントのように、すやすや寝ている彼女の上に立っていた。そのことを今朝になって言うと、出てきたのが、これである。James Hilton "Good-bye, Mr. Chips"(J. ヒルトン「チップス先生さようなら」1934年出版) の書き出しの一節だ。

 妻と私は、昭和28年、大学一年生の時、この小説を英語教科のテキストとして習った。別々の大学で、たまたま同じ教師から全く同じ時期に教わった。どの大学でも、教養課程の外国語教育を専任教師だけでまかなえるほど教授陣を揃えていなかったのだろう、非常勤講師があちこちの大学を掛け持ちするのは普通だった。今でもその事情は変わっていないのではないか。それにしても同じ先生から同じテキストで習ったとは、かなり偶然の賜物だろう。幼なじみ同士であったとはいえ、当時はそんなことは知るよしもなかった。結婚後何かのきっかけでそのことが分かったのだった。

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2010/08/12

岡井敏『原爆は日本人に使っていいな』への疑問

 タイトルとした本が出版されたので読んでみた。原爆が日本人に対する人種差別意識のもと広島・長崎に投下されたことを示す『覚書』があること、その事実に基づき原爆を犯罪として糾弾するべきであること、それを起点に核廃絶運動を再出発すべきことを訴えている。

 一読してその主張の正当性に疑問を抱いた。原爆開発の進捗状況と戦況の推移とを両にらみしながら原爆投下がどのようなプロセスで決定されたか。その全体像についての客観的理解なしに一文書だけを取り上げ、さらにそれをかなり曲げて解釈して問題だ、問題だと騒ぎ立てているように思える。

 その覚書の中に 〈when a "bomb" is finally available, it might perhaps, after mature consideration, be used against the Japanese" 〉との一節がある。「日本に対して」ではなく「日本人に対して」という表現が使われているところに人種差別意識が顕れているというのが著者の主張だ。しかし、英語の表現としてそれほどの差があるだろうか。これが疑問の一点。

 岡井はさらに、原爆開発を始める動機となった「ドイツに先を越されるな」からすれば、当然予想される「ドイツに対して」でなく、なぜ「日本に対して」なのかを問題にし、人種差別が根底にあるとしている。しかし覚書が書かれた頃の戦況からすれば、ドイツ戦の終息が見えてきており、原爆は日本に使うことになろうとしたのは当事者からすれば自然な推移と思われる。これが岡井の主張に対する疑問点の2。

 この『覚書』(ハイドバーク覚書と呼ばれている。ローズヴェルト大統領の私邸のあるニューヨーク州ハイドパークで会談が行われた)は1944年9月(原爆投下の11ヶ月前)、ローズヴェルト米大統領とチャーチル英首相との会談での合意事項をまとめたもので、ある種の密約文書である。ところが米側ではローズヴェルト大統領によって握りつぶされ(外交文書として公的に扱われることなく、私邸の書庫に眠っていた)、大統領以外の誰ひとりその密約を知らぬ間に大統領は45年4月に亡くなってしまった。あとを継いだトルーマン大統領のもとでの原爆投下決定過程に、この覚書は全く影響を及ぼさなかった。この事実を著者はご存じないらしい。これが疑問の第3点。

 以下では、これらの疑問点を中心に過不足ない程度に書いてみるつもりだ。かなり長文になる。適当に拾い読みしていただきたい。

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2008/09/24

『核燃料リサイクルを再考する』

 最近米国を中心に原子力先進国で「原子力ルネッサンス」が到来している、といわれる。意味合いはさまざまだ。これまで停滞気味だった原子力発電所の新設がこれから盛んに行われる時代になる、というのはおおかたの理解である。それに加えて、再処理とプルトニウム・リサイクル、さらには新型炉による長寿命放射性物質(超ウラン元素、TRU)を始末してしまおうという計画までを含めて、原子力新時代という向きもある。「日経サイエンス」08年10月号に、F.N.フォン・ヒッペルが、上記のタイトルで書いている論文(ここ)をもとに、この問題を考えてみよう。

 著者の主張は、まとめていえば、原子力による発電は、米国でも、世界中でも増やしていかざるをえないが、再処理ー核燃料リサイクルまで踏み込むことには賛成できない。その理由は、莫大な費用がかかり経済性が成り立たないこと、プルトニウムの拡散に歯止めがかからないことである。当面の処置としては、使用済み燃料の乾式貯蔵を推奨している。

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2008/09/02

健康によい食品選びのための指標:ONQI

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 新着のナショナル・ジオグラフィック誌(08/9月号)を拾い読みしていたら、こんな記事が目についた。米国で、栄養価をあらわす指標 ONQI というのが新たに導入され、スーパーで売られている食品に表示されることになるという。すべての食品に、1-100の指標が付けられる。点が高いほど,健康にいいと。健康を気にする消費者は、スーパーで食品を求めようとするとき、この指標を参考にするといいというわけだ。たとえば、ブロッコリーやオレンジは100、リンゴ、キャベツ、トマトが96、紅ザケ、鯛、エビが、それぞれ、82、82、75と、高い指標を与えられ、他方、ステーキ、鶏胸肉、ハンバーガー、目玉焼き、ホットドッグなどが、それぞれ 44、39、25、18、5 と低い指標になる。ナショ・ジオ9月号の「健康」欄に80ほどの品目の指標が出ている。

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2008/08/02

『アースダイバー』(中沢新一)

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 東京凸凹地図について書いた(ここ)ときに、Jack さんがコメントで、この本のことをご教示くださった。さっそく読んでみた。東京の地理を考察したものとして、極めてユニークな本である。とても面白い。台地と谷とが複雑に入り組んだ都心部と、その東に拡がる下町との地形に注目する。地形と縄文以来の歴史を手がかりに、台地と低地の境目や、低地そのものに、地霊とか、死霊の気配をかぎつける。そこから著者の想像力は高く飛翔し、事実とも妄想とも見分けのつかない話を紡ぎ出す。少し紹介してみよう。

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2008/07/12

『東京の凸凹地図』は面白い

Yotsuya

 東京街歩きは、私の趣味の最たるものの一つである。東京街歩きの関心の持ち方は人によりさまざまだ。谷中などの有名街歩きスポットに関心を持つ、歴史的建造物や新しい建築を見にいく、新しく開発されたタウン・センターに出かける、江戸絵地図との対比に興味を持つ、明治から現代までの変遷に興味を持つ、などなど。私もあれこれの関心でやっているが、その一つは、山の手、とくに新宿区あたりの地形である。その関心にズバリ答えてくれる地形図があるのを今ごろになって知った。東京地図研究社著『東京の凸凹地図』(2006/1、技術評論社)である。「地べたで再発見」と見出しがついている。

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2008/06/29

3度目の「岩波『哲学』講座」を手にして

 岩波書店が、また『哲学』講座を出すという。いまさら、こんなものを読むか、と自問自答して、しばらく躊躇した。しかし、第1回配本の「心/脳の哲学」のいくつかの論考に惹かれて購入することにしてしまった。書棚のたんなる置物となることは分かっているし、蔵書として持っていたところで、今後活用する機会もあまりないだろう。なにしろ年なのだから(後期高齢者、目前である)。それだのに手を出してしまうところに、自称「教養人、書斎人」、哲学ディレッタントの弱みがあるのだろう。

 これまでさまざまな哲学書を囓ってきたなかで、哲学が自分に何の最終解答を与えてくれない、その意味では無用なものであると、とうに結論を出している。これは私の独りよがりではない。哲学者自身もそのようにいっている。ニーチェが哲学の終焉を宣言し、ローティは体系としての哲学の役割は終わった、ありうるのは文芸批評と同じ役目、思想の解釈学だけだという。デリダは、(読んでいないが)哲学の脱構築を唱えた。自分としても、そのような文脈の中に哲学を位置づけているのに、なぜ今さら全15巻の「哲学講座」なんだ。何でそんなものに手を出してしまったのか。ほんと、自嘲気味である。

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2008/04/04

バーンシュテインの新著「核兵器について知っているべきこと」

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 核兵器の開発史については、これまで数多く語られ、文献、書籍の類も多数ある。開発スタートから60年もたったこの時期に新たに出版されたバーンシュテインのこの本(Jeremy Bernstein: "Nuclear Weapons, what you need to know", Cambridge Univ. Press 2008)は、その系譜に属するものだが、いくつかの点でユニークであり、現時点での出版の意義は大である。紹介しよう。

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2008/03/18

長生きはよくないと久坂部医師

 長生きはよくない、危険だ、もっといえば、悲惨だ。そんなことを堂々と主張している本を読んだ。一年以上前に出版されていたものだが、余丁町散人さんのブログに紹介されるまで知らなかった。さっそく読んでみた。久坂部羊(くさかべ よう)「日本人の死に時」(幻冬舎新書、07年1月刊)である。副題に「そんなに長生きしたいですか」とある。先進国の中でぬきんでた高齢化社会となっている日本では、高齢者が世界一、二の長寿を楽しんでいる。あらゆる場に元気な高齢者が溢れている。各種のスポーツ施設、ショッピングセンター、公共施設、海外旅行などなど。健康に長生きすることはいいことだ、が世間の常識である。そんな中で、長生きはよくない、苦しい、悲惨だ。長生きを望まず、死に時をわきまえ、早々と死ぬがよろしい(とまでは書いてないが、そう取れる)と主張しているのだ。元気な高齢者ばかり見ていると見損なってしまう陰の部分が、老いに伴っている。そちらに目配りすることを促している。じつは高齢になると誰もがヒタヒタと忍び寄る陰を感じている。できるだけ遠ざけたい話題だが、著者がどんなことを言っているかを紹介し、考えてみたい。

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2008/03/04

鵜原の岬にて

 少し旧聞になるが、2月初旬、千葉県外房海岸の鵜原温泉へ行った。顔面神経麻痺を患い入院したあとの気分転換と、温泉浴が麻痺の回復に多少なりと効くことを期待しての温泉行だった。温泉もさることながら、あたりの風光の希有な美しさを知るという余得もあった。かつて与謝野晶子ら文人たちがこの地を愛で、理想郷と呼んだということは、宿探しのときに知ったのだが、実見してみて、なるほどと納得した。

 事後に思いがけないことがあった。一つは例のイージス艦による漁船沈没事件である。滞在中、岬の狭間にある小漁港をいくつか見た。例の漁船は同じ勝浦市にある別の小漁港から出ていったのだ。もう一つ。三島由紀夫がこの岬を舞台にして書いた「岬にての物語」をその後読んだこと。そぞろ歩いたあの岬の風景とこの物語が、鍵と鍵穴のようにぴたりと結びついて、ロマン溢れるものとして思い出された。そうとは知らず無作為に撮ってきた写真を見直してみて、一編のアルバムとしてみた。それも併せてごらんいただこうというわけである。【アルバム→フォトギャラリー、0802鵜原の岬にて

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