2008/09/24

『核燃料リサイクルを再考する』

 最近米国を中心に原子力先進国で「原子力ルネッサンス」が到来している、といわれる。意味合いはさまざまだ。これまで停滞気味だった原子力発電所の新設がこれから盛んに行われる時代になる、というのはおおかたの理解である。それに加えて、再処理とプルトニウム・リサイクル、さらには新型炉による長寿命放射性物質(超ウラン元素、TRU)を始末してしまおうという計画までを含めて、原子力新時代という向きもある。「日経サイエンス」08年10月号に、F.N.フォン・ヒッペルが、上記のタイトルで書いている論文(ここ)をもとに、この問題を考えてみよう。

 著者の主張は、まとめていえば、原子力による発電は、米国でも、世界中でも増やしていかざるをえないが、再処理ー核燃料リサイクルまで踏み込むことには賛成できない。その理由は、莫大な費用がかかり経済性が成り立たないこと、プルトニウムの拡散に歯止めがかからないことである。当面の処置としては、使用済み燃料の乾式貯蔵を推奨している。

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2008/09/02

健康によい食品選びのための指標:ONQI

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 新着のナショナル・ジオグラフィック誌(08/9月号)を拾い読みしていたら、こんな記事が目についた。米国で、栄養価をあらわす指標 ONQI というのが新たに導入され、スーパーで売られている食品に表示されることになるという。すべての食品に、1-100の指標が付けられる。点が高いほど,健康にいいと。健康を気にする消費者は、スーパーで食品を求めようとするとき、この指標を参考にするといいというわけだ。たとえば、ブロッコリーやオレンジは100、リンゴ、キャベツ、トマトが96、紅ザケ、鯛、エビが、それぞれ、82、82、75と、高い指標を与えられ、他方、ステーキ、鶏胸肉、ハンバーガー、目玉焼き、ホットドッグなどが、それぞれ 44、39、25、18、5 と低い指標になる。ナショ・ジオ9月号の「健康」欄に80ほどの品目の指標が出ている。

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2008/08/02

『アースダイバー』(中沢新一)

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 東京凸凹地図について書いた(ここ)ときに、Jack さんがコメントで、この本のことをご教示くださった。さっそく読んでみた。東京の地理を考察したものとして、極めてユニークな本である。とても面白い。台地と谷とが複雑に入り組んだ都心部と、その東に拡がる下町との地形に注目する。地形と縄文以来の歴史を手がかりに、台地と低地の境目や、低地そのものに、地霊とか、死霊の気配をかぎつける。そこから著者の想像力は高く飛翔し、事実とも妄想とも見分けのつかない話を紡ぎ出す。少し紹介してみよう。

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2008/07/12

『東京の凸凹地図』は面白い

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 東京街歩きは、私の趣味の最たるものの一つである。東京街歩きの関心の持ち方は人によりさまざまだ。谷中などの有名街歩きスポットに関心を持つ、歴史的建造物や新しい建築を見にいく、新しく開発されたタウン・センターに出かける、江戸絵地図との対比に興味を持つ、明治から現代までの変遷に興味を持つ、などなど。私もあれこれの関心でやっているが、その一つは、山の手、とくに新宿区あたりの地形である。その関心にズバリ答えてくれる地形図があるのを今ごろになって知った。東京地図研究社著『東京の凸凹地図』(2006/1、技術評論社)である。「地べたで再発見」と見出しがついている。

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2008/06/29

3度目の「岩波『哲学』講座」を手にして

 岩波書店が、また『哲学』講座を出すという。いまさら、こんなものを読むか、と自問自答して、しばらく躊躇した。しかし、第1回配本の「心/脳の哲学」のいくつかの論考に惹かれて購入することにしてしまった。書棚のたんなる置物となることは分かっているし、蔵書として持っていたところで、今後活用する機会もあまりないだろう。なにしろ年なのだから(後期高齢者、目前である)。それだのに手を出してしまうところに、自称「教養人、書斎人」、哲学ディレッタントの弱みがあるのだろう。

 これまでさまざまな哲学書を囓ってきたなかで、哲学が自分に何の最終解答を与えてくれない、その意味では無用なものであると、とうに結論を出している。これは私の独りよがりではない。哲学者自身もそのようにいっている。ニーチェが哲学の終焉を宣言し、ローティは体系としての哲学の役割は終わった、ありうるのは文芸批評と同じ役目、思想の解釈学だけだという。デリダは、(読んでいないが)哲学の脱構築を唱えた。自分としても、そのような文脈の中に哲学を位置づけているのに、なぜ今さら全15巻の「哲学講座」なんだ。何でそんなものに手を出してしまったのか。ほんと、自嘲気味である。

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2008/04/04

バーンシュテインの新著「核兵器について知っているべきこと」

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 核兵器の開発史については、これまで数多く語られ、文献、書籍の類も多数ある。開発スタートから60年もたったこの時期に新たに出版されたバーンシュテインのこの本(Jeremy Bernstein: "Nuclear Weapons, what you need to know", Cambridge Univ. Press 2008)は、その系譜に属するものだが、いくつかの点でユニークであり、現時点での出版の意義は大である。紹介しよう。

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2008/03/18

長生きはよくないと久坂部医師

 長生きはよくない、危険だ、もっといえば、悲惨だ。そんなことを堂々と主張している本を読んだ。一年以上前に出版されていたものだが、余丁町散人さんのブログに紹介されるまで知らなかった。さっそく読んでみた。久坂部羊(くさかべ よう)「日本人の死に時」(幻冬舎新書、07年1月刊)である。副題に「そんなに長生きしたいですか」とある。先進国の中でぬきんでた高齢化社会となっている日本では、高齢者が世界一、二の長寿を楽しんでいる。あらゆる場に元気な高齢者が溢れている。各種のスポーツ施設、ショッピングセンター、公共施設、海外旅行などなど。健康に長生きすることはいいことだ、が世間の常識である。そんな中で、長生きはよくない、苦しい、悲惨だ。長生きを望まず、死に時をわきまえ、早々と死ぬがよろしい(とまでは書いてないが、そう取れる)と主張しているのだ。元気な高齢者ばかり見ていると見損なってしまう陰の部分が、老いに伴っている。そちらに目配りすることを促している。じつは高齢になると誰もがヒタヒタと忍び寄る陰を感じている。できるだけ遠ざけたい話題だが、著者がどんなことを言っているかを紹介し、考えてみたい。

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2008/03/04

鵜原の岬にて

 少し旧聞になるが、2月初旬、千葉県外房海岸の鵜原温泉へ行った。顔面神経麻痺を患い入院したあとの気分転換と、温泉浴が麻痺の回復に多少なりと効くことを期待しての温泉行だった。温泉もさることながら、あたりの風光の希有な美しさを知るという余得もあった。かつて与謝野晶子ら文人たちがこの地を愛で、理想郷と呼んだということは、宿探しのときに知ったのだが、実見してみて、なるほどと納得した。

 事後に思いがけないことがあった。一つは例のイージス艦による漁船沈没事件である。滞在中、岬の狭間にある小漁港をいくつか見た。例の漁船は同じ勝浦市にある別の小漁港から出ていったのだ。もう一つ。三島由紀夫がこの岬を舞台にして書いた「岬にての物語」をその後読んだこと。そぞろ歩いたあの岬の風景とこの物語が、鍵と鍵穴のようにぴたりと結びついて、ロマン溢れるものとして思い出された。そうとは知らず無作為に撮ってきた写真を見直してみて、一編のアルバムとしてみた。それも併せてごらんいただこうというわけである。【アルバム→フォトギャラリー、0802鵜原の岬にて

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2008/02/13

『求めない』をもとめない

 加島祥造の『求めない』(小学館、07/6月刊)というタイトルの本が売れているそうだ。40万部も売れたという。出版間もなく本屋で見たが、私はこの手の本は苦手で、買い求めなかった。80歳を超えた英文学者、詩人である。長い人生経験の果てに到達して心境を、「求めない、すると、・・・」という句ではじめて、短く印象的な言葉で結んだもの、百編あまり。見事だ。しかし、短い詩編をこの人の生から切り離して、ひとり歩きさせることに疑問を感じた。今月の総合雑誌『文藝春秋』(08年3月号)で、この短詩集がどのようなバックグランドから生まれたかを、著者が赤裸々に語っているのを読んだ(『「求めない」僕が、愛した女性』上記号176ページ)。やはり、著者の意図は、一般の受け止め方と違っているようだ。諦観ではなく、むしろ人間の本性である希求本能をおおらかに肯定しているのだ。逆説的に語られた「求めない」ともいえる。

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2008/01/31

索引のない本

 日本で出版される本には索引の付いていない本が多い。小説やエッセイなどの文学作品は別としておこう。多少なりとなんらかの見解を主張する類の本には、索引を付けるべきである。欧米の出版物では常識である。本はある種の情報のかたまりである。本を読む目的の一つは、さまざまな情報に接することである。その情報を自分なりに処理し、取捨選別し、他の情報とつないだり、自分の経験と照らし合わせることで、思索が刺激される。場合によっては、同じ本を繰り返し読み返す。本を読みながらも、前に書いてあったことにさかのぼりたくなる。そんな時に、本につけられている索引が役に立つ。

 書店で本を手にする。目次やあとがき以外に、索引を一覧する。何が扱われているか、どんな人が言及されているか、いないか。それが本を買うか、買わないかの判断の目安になる。ところが本に索引が付いていないと、その手がかりが得られない。索引のない本が多いということが、日本における著者、出版社、編集者そして読書人の意識のレベルを反映しているように思う。このデジタル時代、索引を作成する手間はかなり軽減されている。それでも、充実した、的確な検索語の選択など、著者と編集人の力量に負うところは大である。良質の索引が付いていれば著作の価値も高まる。著者、出版社、編集者に「もっと『索引』を重視して」と呼びかけたい。

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2007/11/13

こわいもの

 ある会社の広報誌に寄稿したものが出版された。その会社のホームページに掲載(『こわいもの』)されているので、お読みいただきたいと紹介する。この会社(長瀬ランダウア株式会社)は、放射線を扱う仕事(医療機関とか産業とか)をしている人たちが、どれだけ放射線に当たったか(被ばく線量)を計測するサービスを行っている。私が現役だったころは、胸にフィルムバッジをつけて仕事をしていたが、今はもっと進んだバッジなどが開発され使われている。放射線作業従事者が多数いる職場では、自前で被ばく線量管理をしているが、個別の医療機関や大学、放射線を使う産業現場(非破壊検査など)などでは、このような会社に外注している。その種業務の大手のようだ。

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2007/10/09

「暴走老人!」という、こじつけ本 (暴走老人? その2)

 前回書いたようなことがきっかけになって読んでみた藤原智美「暴走老人!」(文芸春秋社、07/8月刊)という本。結論としてはトンデモない本で、論じる気もしないほどなのだが、行きがかり上、なにか書いてみよう。

 軽い本である。よく話題になるような社会現象が取り上げられていて、格別精読を必要とするようなものではない。斜め読みで十分で、2時間もあれば読めてしまう。行列待ちができずにキレるとか、やたらしつこくクレームをつける老人が増えた。それだけでなく凶暴な犯罪に走る老人も急増している。その社会的背景に何があるか。どうも老人たちが生きづらい時代になってきたのではないか。まあ一言でいえば、そんなことを書いている。しかし書いてある時代の変化はよくいわれていることだし、それを困った老人が増えていることに直接的に結びつけるのは無理があるようだ。

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2007/10/08

暴走老人?

 最近老人がキレやすいという話しを聞く。そういえば自分もキレやすくなったかな(いやもともとその傾向があった)と思っていたところに、ちょっとしたきっかけがあった。そんなことで、藤原智美「暴走老人!」(文芸春秋社、07年8月刊)という本を読んでみたのでそれを話題に書いてみる。書いているうちに長くなったので、今回は読むきっけになったちょっとしたことについて。この本についての感想は次回。そこでは、書かれていることは、だいぶ違うんじゃないか、という話になろう。そして次々回に、じゃあ自分はどう考えるかを書くことにする。それほど熱をこめて書くほどのことでもないのだが、最後までまとめきれていないので。

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2007/09/11

坂口安吾・ファルス・小島信夫

 先日信濃追分の山荘に友人を訪ねたとき(『今年の信濃追分』07/8/24)、追分宿を散策し、最近開店したという古書店に入った。そこで購入した千石英世の著書「小島信夫ーファルスの複層」の中で、「人間に関する限りの全てを永遠に永劫に永久に肯定肯定肯定してやむまい」との坂口安吾の文学宣言ともいうべき言葉を知り、さらにはこの宣言は、むしろ小島信夫によって実現したとの著者の指摘から、再び小島信夫を読むことへの熱意がよみがえってきた。

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2007/08/16

『アサッテの人』

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 あまりはやりものは読まない主義だが、今度の芥川賞受賞作、諏訪哲史「アサッテの人」(私が読んだのは文藝春秋9月号に掲載のもの)は、一見私好みで、読み応えがありそうだと、ていねいに読んでみた。読みづらかった。読み進めるのに骨が折れた。真ん中ぐらいまで我慢して、やっと作者は何を書こうとしているか分かってきて、少し読みやすくなった。しかし最後まで読んでみて、あまり感心できなかった。荒削りで、未完成で、書き手としては無責任とも思えるひどい構成の作品に見えた。そのことを指摘する趣旨のエントリを書こうとして、結局もう一度読むことになった。印象が変わった。一つの通した物語として書き上げることができず、つぎはぎした断片のまとまりとして読み手の前に放り出されたように見えたこの小説は、その構成が書き手の周到な計算にもとづくもので、その作為はしたたかなものだと、考えが変わった。しかしそれにしても、問題点はある。それを書いてみよう。

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2007/06/27

「食」を通して見た世界

 「食」は、単に私たちが食べているもの、にとどまらない。食は、私たちが何ものであり、いかに生き、どのような世界に住んでいるかを表しているのではないか。

  Tell me what you eat and I will tell you who you are, where you live, where you stand on political issues, who your neighbors are, how your economy functions, your country's history and foreign relations, and the state of the environment.

 そういう問題意識で、雑誌"TIME" (07年6/25,7/2合併号)は、「食」特集 "We are what we eat" を組んでいる。世界各地にいる記者が志願して、自分が駐在する地とは別の取材地へ赴き、さまざまな観点から世界の食の現状をレポートしている。ヴァライエティに富み、さまざまなことを考えさられる。

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2007/06/19

ローティとヴァッティモの「弱い思考」、そして「宗教の未来」

 一冊の書物がある。読み終えたばかりだ。それについて何かのまとめをここに書こうとする。しかし始めて見ると、何かを書けるほどの理解に達していないことに気づく。もう一度丹念に読みなおす。さらには周辺に拡げてみる。関連したいくつかの論考などを、雑誌やネット上に見つけて読むのだ。それでも、やはり書くモティベーションが高まってこない。これは書けそうもないな。あきらめるか。でもこの山を越えないと、ほかに何もできそうにない。精神的窒息状態というか。頭のなかのパイプにプラグが詰まった感じで、それをなんとか抜かないことには、どうにもならない。そんな状態にときどき陥る。何かをブログエントリ上に排出しないことには、前に進めない。そんなエントリが、私のには、ままある。読者には申し訳ないが、自分のためのガス抜きである。これもそれになるだろう。

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2007/05/28

断片的に、現状を

 これは私の現状報告的なメモである。私の生活が、いかにゴチャゴチャであるかを、自己描写的に書いておこう。それぞれにまとまったエントリに発展させるつもりもあるが、それには時間がかかる。このところ忙しく過ごしているので、断片的なメモとする。

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2007/03/14

武州石神井邑・油屋 勝右衛門

070314aburaya  妻の母方の先祖は練馬区石神井あたりに住まう豪農であった。その家族の物語を妻の妹夫婦が書き、私家本として出版した。この家族の繁栄と没落の物語のさわりと、長年の調査の末に本の出版にこぎつけた妹夫妻、特にその夫のことを書いてみよう。

 油屋を屋号とし、名字帯刀を許されて本橋勝右衛門を代々名乗ったこの家は、江戸西郊石神井にて油絞りその他の事業を営み、神田や新宿に店を持ち、明治になってからは北豊島郡の郡長を出した。その次の代が事業に失敗し、没落して石神井の地を離れた。妻の母は、この郡長だった人の曾孫に当たる。土門拳賞などを受けている写真家本橋成一が直系の当主である。

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2007/01/03

本を買う

 本をよく買うほうだ。しかし年とともに、本を買うとき考えるようになった。この本を買って、死ぬまでに読むだろうかと。(A) 買ったらすぐ読む本と、(B) いずれ読むとか、資料として使うために買う本とがある。(A) はいい。問題は(B)で、これについてはかなり迷うようになった。それでも買ってしまうことが多い。

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2006/12/25

吉本隆明は「いま考え中」と

 吉本隆明と笠原芳光の対談「思想とは何か」(春秋社 2006/10) を読んだ。気楽に読め、面白かったが、対談だから、そう深くはない。内容も、悪くいうと、つまみ食い的だから、それをあれこれ紹介することもないだろう。一カ所だけ、自分がぼんやりと感じていることをうまく表現してくれているな、と思った部分があったので、書きとめておこう。思想の将来について、とくに科学の進歩と対比しての思想の将来について問われて、こうだとうまいことをいえない。いえないのが本当で、何かえらそうなことをいっているのにはウソがある、というのだ。

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2006/11/03

『海辺のカフカ』を読む

 いまさらであるが、旅の途上で村上春樹「海辺のカフカ」を読んだ。ふだん読めない長編を持参し、旅のつれづれに読む。スイスでは、トーマス・マンの「魔の山」(再読)、アイルランドでは、ロバート・ゴダードの「永遠(とわ)に去りぬ」と、旅先に多少関係したものを読むこともあるが、関係のないものを気分転換のために読むことが多い。今度もそれだった。

 小説は、わりとよく読むが、ベストセラーはさける。性分があまのじゃくだから、世間で騒がれているものには背を向けたくなる。ほとぼりが冷めたあと、じゃあ読んでみるかと手にする。村上春樹のものも、出版されてから時間をおいて、順不同に読んできた。「ノルウェイの森」は少し前に読んだばかりだ。タクラマカン砂漠を旅した時だったか。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は、ずいぶん前に読んで、HP本館に感想を書いている。そこでも、それまで村上春樹を読む気がしなかったなどと書いてある。相変わらずだ。

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2006/05/01

フラット化する世界

050501flat  ニューヨークタイムズの花形論説記者、Thomas L. Friedman は、今世界に起こっている大変革を、「The World is Flat、世界はフラットだ」とのひとことで表現した。ITとグローバリゼーションが、インドのシリコンバレーと呼ばれるバンガロールを新世界に変えた。そこを訪問したとき、霊感のようなものを感じ、それをこの一語で言い切ったようだ。15世紀の末、コロンブスが新大陸を発見し、「世界は丸い」ことを実証したのに比較し、それから500年以上を経た21世紀の初頭、「世界は平ら」であることを発見したといいたいようだ。
 フリードマンは、一年前に「The World is Flat」を出版した。ベストセラーになり、反響も大きかった。その後も世界は大きく、素早く動いている。今回改訂増補版を出した。近く日本訳も出版されるらしい(「フラット化する世界」日経、06/5月刊)。ニューヨークタイムズは、最近 "Times Talk" という新企画を始めた。最新のトピックスについてパネル討論を公開で行い、それをウェブ上でビデオ上映するものだ。その初回が「グローバリゼ−ション」(すみません。TimesSelectの購読者でないと見ることができません)であった。Friedmanのこの本をテーマに、著者自身と、彼の考えに批判的なノーベル経済学賞受賞者のジョゼフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)を登場させている。司会者は最近ABCのキャスターを降りたテッド・コッペル(Ted Koppel)。全文が掲載され、おもな部分をビデオで視聴できる。なかなか興味深い企画だった。そこで、まだ読み終えていない(600ページ弱ある)のだが、この本を話題に取り上げてみる。

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2006/01/21

90歳、小島信夫の「残光」

 小島信夫は、90歳である。その人が、400枚の新作を雑誌「新潮」2月号に発表している。刷り上がりで130ページほどになる。小島信夫は、若い頃少し読んだのと、一度ワシントンハイツのことを書いたときに、小島信夫の芥川賞受賞作{アメリカンスクール」に言及したことがあって、多少気にかけている作家である。90歳にもなった作家が、何を書いているか、その程度の興味で読んでみた。とても面白い。この小説の原稿を書いている自分の生活、それ自体を題材にして、自分の気持ちに去来するものを、思考のおもむくままに書き連ねている。そのモザイク模様の作品は、一旦その世界に入り込んで、作家の書くがままについていくと快い。私自身の日常でも、気持ち(固い言葉で、意識といってもいいが)が断片的なつぎはぎ模様で流れていることを、常々感じているので、共感できるところがある。また、この老作家が、自分の老いにどう向き合っているのかも、彼よりはずっと若いとはいえ、同じように老いを感じている身として興味深い。

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2005/12/21

高橋源一郎と内田樹が偲ぶ、早熟の異才、竹信悦夫

 読みにいって間違いなく楽しめるブログは、私にとっては、なんといっても「内田樹の研究室」である。このブログの左コラムに、いつも内田の新刊書のサムネイル画像とタイトルが載っているのだが、3日ほど前から「ワンコイン悦楽堂」が、最新刊として登場した。内田の著書ではなく、竹信悦夫という人の書いたものだ。紹介文が添えられていて、そこにはこう書いてある。

私と高橋源一郎さんが巻末で竹信くんを偲んで対談してます。
竹信くんは私の大学時代の親友(高橋さんにとっては灘での中高時代のツレ)。
昨年、マレーシアのランカウイ島で夕暮れの海に向かって泳ぎながら心臓麻痺で亡くなりました。
私にとってはかけがえのない「関西風味」の友でした。
彼の魂の天上での平安を祈ります。

 え! あの竹信さんって、内田樹の親友だったのだ。高橋源一郎の中高時代の仲間だったのだ。驚いたのにはわけがある。竹信さんは、私らにとっても知人だったから。その次第を書くのが本筋ではないから、それはあとに書く。

 早速アマゾンから取り寄せて読んでみた。竹信悦夫が、朝日新聞のインターネット版に、亡くなるまで2年にわたって書いた書評、それも新古書店でワンコイン(百円か5百円のコイン)一枚で買える古書とかバーゲン本を毎週一冊取り上げての書評、を集めた本である。内田樹ブログの紹介通り、巻末に内田樹と高橋源一郎との対談が載っている。これがめっぽう面白い。竹信悦夫の途方もない早熟と、その後の老成ぶりが語られている。朝日新聞記者となり、組織の中で働いてきたのだろうが、それほどの異才が、さほど世に名を轟かすことなく不慮の死を遂げてしまった。「悲劇的に完結した人生だった」と、二人はこの人のことを偲んでいる。残された書評集は、能ある鷹が爪を隠しつつ、抑えて書いたものとしか思えない。

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2005/12/12

司馬は今日の日本を見通していた、と養老

 雑誌「文藝春秋」06年新年号の巻頭論文、「司馬遼太郎さんの予言」で、養老孟司は、司馬が「過去を掘る人」であっただけではなく、現在を見抜く人であったゆえに、その晩年に書いた日本社会の分析は、「今の日本を見通していたかのようだ」(副題)と書いている。解剖学者として、また無類の虫好きとして、対象をよく見ることを大事にする養老が、司馬は、過去に聞く「大きな耳」をもった人であったと同時に、現「場に足を運び、対象の前に立ち、何かを見て、何かを感じることを大切にし」た、「大きな目」をもっている人だった、と自分との同質性を感じているようだ。

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2005/10/28

内田樹『街場のアメリカ論』

 内田樹の『街場のアメリカ論』を面白く読んだ。これまでに類を見ないアメリカ論だ。内田がアメリカ論?と最初は思ったが、読んでみると、この人らしい意外な視点から、切れ味のいい語り口で、アメリカが論じられており、とても非専門家によるものとは思えない。むしろアメリカを論じる適任者だと思える。

 考えてみると、私も、けっこうアメリカを論じた本や論説文を読んでいる。何のかんのといって、アメリカのことを「気にしている」からである。内田は、ポストモダンの思想家らしく、日本人はアメリカを「欲望している」と表現しているが、私が「気にしている」と書いたことは、その中に含意されているのだろう。

 この『日本はアメリカを欲望してきた』という表現が飛び出す「まえがき」からして、非常に刺激的である。ペリー来航以来、

日本のナショナル・アイデンティティとはこの百五十年間、「アメリカにとって自分は何者であるか?」ということを巡って構築されてきた。その問いにほとんど「取り憑かれて」きたと言ってもよい。

と書いているが、それが言い換えれば、「日本はアメリカを欲望してきた」ということであり、「欲望」という表現の含意を、

日米関係の本質は現実の水準ではなく、欲望の水準で展開している。

との言明で示している。「日本人はどのようにアメリカを欲望しているのか?」を中心的な関心として、この本を書いたともいう。なかなか新鮮である。

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2005/06/26

肯定-否定の軸に、考えの深さの軸を

 前回書いたエントリを再考するヒントを、美千代さんのコメントからもらった。美千代さんのやんわりとした表現を、身も蓋もなく言ってしまえば、「なんだか難しそうに書いているけど、そんなことみんな分かっていることよ」としていいだろう。その通り。「肯定主義」などと難しそうに言っているが、私たちが毎日普通に生活していくのに、当然の考え方なのだ。そこでちょんにしてもいい。だけど、そうもいかないともう少し書いておきたい。

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2005/06/24

大風呂敷、しかし納得できる、須原一秀の近著

 須原一秀の書いた『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組』(新評論、2005/2刊)を読んだ。本のタイトルの誇大なことにまず驚く。「現代の全体をとらえる」とか「一番大きくて簡単」など、よく言うよ、といいたくなる。しかし、読み進めてみると、いちいち納得のいくことばかりである。そうだよな、と読んでいるうちに、ふだん漠然とこうだな、と考えていたことを、的確な表現で、ズバリ言い当ててくれているのに気づく。私だけではなく、ほとんどの人が、本音のところ、こう考えているのではないか、と思える。著者のいうことについて行けない、引っかかる、と考えるとすれば、知識人の悪弊として著者が指摘している「否定主義」(以下参照)にいまだに囚われているからだと考えてみた方がいい。

 著者の主張を、ひとことでいえば、現代の大衆社会を丸ごと受け入れるのがいいんだ、ということである。現代の大衆社会を作っている柱は、民主主義、資本主義、科学技術である。それぞれに問題を抱えているが、それで成り立っている世界を肯定的に捉えていくしかないんじゃないか、ということ。

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2005/04/05

雑誌『風の旅人』の定期購読を更新して

 このブログで何度か紹介してきたが、雑誌『風の旅人』を愛読している。いまどき希有な雑誌だと思う。映像を主体とした雑誌だが、単なる写真雑誌ではない。問題を投げかけてくるテーマ性のある雑誌だが、社会問題を主とするグラビア誌とは違う。風土と文化を中心に据えているようだが、既成のいかなるものの見方の枠にも収まらない、独自の「自然−人間」観を問いかけている。深い思索を求めているようでいて、決してその方面の専門を目指さず、誰でもが読め(眺め)、理解できるものを目指している。大衆性を求めず、大衆に訴えている。編集者佐伯剛がユニークな方針にもとづいて創っている雑誌だが、優れた映像作家と執筆者をして、言葉を超えたものを暗喩的に表現させている。その指し示すものを、どう受け止めるのかは、読者に委ねられている。表現者と編集者の意図を、私が的確に受け止めているとは、とうてい言えないのだが、いつも強い刺激と、多くの示唆を与えられている。

 2年の定期購読期間が終わり、編集者佐伯剛の名前で継続依頼の文書が届いた。さすがユニークなものだ。「この世知辛い時代に、『風の旅人』のような雑誌を読み支えていただき、心より感謝いたします」との書き出して、こんなことが書いてある。

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2005/02/05

鹿島茂先生からの返書

 先日このブログに書いた「鹿島茂先生は、どうしてキュリー夫人をユダヤ人にしてしまったのだろう?」に、鹿島先生から返事があった。じつは、この記事のコピーに、手紙を添えて、先生の大学宛と、中央公論新社・中公文庫担当者宛に送ったのだった。先生からさっそくご返事をいただいた。

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2005/01/16

鹿島茂先生は、どうしてキュリー夫人をユダヤ人にしてしまったのだろう?

050115MarieCurie 鹿島茂先生の多方面にわたる博識と、多才な執筆ぶりはつとに知られている。軽やかで読みやすく、つい引きづり込まれて読んでしまう。そんな本を数多くものしておられる。そんな一冊『フランス歳時記』(中公新書2002/3刊)の中で、キュリー夫人をユダヤ人としているが、これは先生、ちょっと筆が滑ったのではないか。放っておいてもいいのだが、広く読まれている書物だから、間違いを指摘しておかないと、誤ったキュリー夫人像が流布することになる。

 キュリー夫人の生涯は、偏見との戦いだった。女性に科学などできるか、外国人を取り立てることはない、そして誹謗の際の常套語「ユダヤ人」。20世紀初頭、フランスには口汚い右翼言論活動がはびこっていた。ドレフュス事件の後遺症だろう。外国人の女性科学者であるマリー・キュリーがめざましい業績をあげ、顕彰されるのを見て、ことあるごとに、この右翼言論は夫人をターゲットにした。それとの戦いに疲れ、後半生はほとんど研究活動もままならなかった。偏見でつぶされたといってもいい。そのキュリー夫人が、今日本でユダヤ人呼ばわりされていることを知ったら、どんなに嘆くことか。ユダヤ人であることを差別視してこういっているのではない。キュリー夫人をユダヤ人と蔑称することに、端的に象徴されていた夫人に対する偏見が、今こんなところに残っていることが残念だからだ。

 鹿島先生が、どのようなソースからそのように書かれたのか知らないが、当時の偏見に「汚染されている」噂話を、気軽な書き物として取り込んでしまったのではないか。先生はそのつもりではなくとも、結果としては、キュリー夫人がもっとも悔しがる誹謗に与していることになる。それゆえに私は、事実を調べ、紹介したいのである。

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2005/01/12

天皇の靖国、小泉の靖国

 西岡朗(元防衛研究所)の『靖国神社参拝・小泉首相の倫理的資格を問う』(「論座」05/2月号)は、保守の側から小泉首相の靖国参拝を批判するもので、興味深い。その論点を紹介しよう。著者は、日本の首相の靖国神社公式参拝は憲法上、政治上全く問題ない、むしろ戦死者の慰霊は首相たるものの義務であると主張した上で、小泉首相に限って言えば、この人には靖国を参拝する倫理的資格がない、と論じている。

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2004/12/02

白川静の『文明と荒野』(風の旅人11号から)

 雑誌「風の旅人」の最新11号を、いつものように、巻頭の白川静の直筆随筆から読み始めた。含蓄は深いが、難解でもある。特集タイトルに合わせて「文明と荒野」と題されたエッセイの読解を試みてみよう。

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2004/11/20

イチローが理系?

 雑誌「諸君!」12月号の巻頭コラム(「紳士と淑女」)に書いてあることが、変でもあるし、面白くもある。紹介して、ひとこと論じてみたい。

 イチローが感情を表にあらわさないのは、彼が「理科系人間」のせいだという。一方、イチローに国民栄誉賞を与えようなどと考えるのは、「文化系人間」だ、というのだ。

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2004/10/14

宮本輝『草原の椅子』

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 フンザへ旅に出ることを決めたあと、ふとしたことから、この宮本輝の小説(1999出版)がフンザを舞台にしていることを知り、読んでみなければと思った。フンザとはどこか、どんなところか、あまり知られていない。フンザについてふれた紀行、歴史、民俗のたぐいの本もほとんどお目にかかれない。フンザを舞台にした小説があるなんて、うれしいことだ。

 小説は、フンザの村落で、主人公遠間憲太郎が予言者の老人に出会ったところから始まる。憲太郎への予言はこうだった。

 あなたの瞳の中には、三つの青い星がある。ひとつは潔癖であり、もうひとつは淫蕩であり、さらにもうひとつは使命である。
 珍しい星だ。

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2004/10/05

地獄で政治を担当しているのが日本、とのジョーク

 宮本輝の小説「草原の椅子」(新潮文庫)を読んでいる。ヨーロッパではやっている小話(ジョーク)として、こんなのが出ていた。

 この世で善行を積んだために、死後、天国へ行った男が、天国にも地球と同じ国があるのを知った。だが天国は、それぞれの国が役割を担って運営されていて、政治はアメリカが、警察はドイツが、料理やファッションはフランスとイタリアが担当していた。
 日本は? 日本は何を担当しているのかと訊くと、さまざまな分野における「下僕」であったという。
 そこで男は、地獄ではどうなっているかと思い、地獄を見学に行くと、警察はイタリアが、 料理はイギリスとドイツが、政治は日本が担当していたという。

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2004/10/03

中国の鵬、日本の野分、白川静の台風論

 今年は台風の多い年であった。まだ過去形でいうのは早く、これからも一つや二つ来るのかもしれない。今年の台風は九州から本州を縦走するコースをとるものが多く、風あるいは雨による被害が、毎回場所を変えて発生した。台風接近の予報を聞くたびに、今回はどこで被害が出るのだろう、今回もまた何人かの犠牲者が出るのだろうな、と心が痛んだ。私の住んでいる関東北部は、幸い台風の直撃を受ける頻度が少なく、たとえ通過するにしても弱まってからが多い。それでも水害を何度か目にしている。

 雑誌「風の旅人」(ユーラシア旅行社)は、掲載される写真がよく、また編集方針も常連の執筆者も好きなので、隔月刊を楽しみに待つのだが、今回は「水、風、土と生活」という特集号である。前号から、白川静のエッセイを全文直筆で巻頭に載せるようになった。前回分について、このブログで、04/8/4のエントリ「鬼気迫る白川静の直筆」で紹介した。今回は「台風」について書いているのを紹介しよう。

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2004/08/04

鬼気迫る白川静の直筆

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 94才になる漢字の学者、白川静のエッセイ「人間の領域」を自筆のまま巻頭言に掲げたのが、雑誌『風の旅人9号』(隔月刊、ユーラシア旅行社)。達筆とはとてもいえないが、筆跡といい、書いてあることといい、いまの世の中を嘆いて書き記した遺書のように見え、鬼気迫るものがある。少し引用してみよう。

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2004/08/01

文化資本の偏在と逆説をいう内田樹

 幼少時から文化的レベルの高い家庭に育った子が、文化(芸術や文学など)のセンスを身につけて育つ。もって育ったものは成人して何者かになっていく過程で価値を生み出す。こうして親から子へと受け継がれるものを文化資本と呼ぶらしい。この文化資本を持つ人と持たない人との2極分化が、現在の日本で進んでいて、新しい階層社会を生み出しつつある。『街場の現代思想』(NTT出版、2004年7月)という目をひくタイトルの本で、内田樹が書いていることである。

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