2009/07/08

撮影旅行での椿事

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  【画像は、梓川上流の明神橋、見えている山は明神岳】
 上高地へ撮影旅行に行った。カメラ会社が、愛用者のために運営しているクラブ主催の撮影旅行に参加した。上高地に毎年数回は行くという風景写真の専門家が指導して、上高地の撮影スポットを案内し、撮影法を伝授してくれた。梅雨時にもかかわらず天候にも恵まれて、撮影旅行そのものはとてもよかった。だが、その旅行の往復で、集合時間に間に合わず見切り出発となったり、途中休憩時に置き去りにして行方不明の人が出るなどの椿事があった。それは偶然の出来事ではあったが、垣間見えたのは、こういう旅行を催行するにあたっての会社の事務局と下請け旅行社との間の構造的問題であった。また参加者の自己管理も問題であった。そのことへの感想を書いておこう。

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2009/06/23

スポーツジムに通い、生活激変

 年とってくると健康に多少なりと関心が増してくる。体力の衰えを自覚する。身体のあちこちが危険信号とまでいかないが、警戒警報を発している。長生きしたいとは思わないが、急にぶっ倒れたくもない。身体能力の衰えも問題だ。以前はどうということのなかった外出や旅先の行動に、限界を感じることがある。特に、妻は肩や足を痛め、限界は現実のものとなっている。鍛えることでこの衰えを多少なりと食い止めないことには、「楽しむ老後」(退職後の過ごし方として標榜してきたこと。たとえば年賀新聞02年号に書いている)の終わりが来てしまう。何かしなければと思いつつも、歩くことぐらいしか実践できない。これはかなりその気でやってきた。でも毎日とはいかない。炎熱の夏、酷寒の冬には、外歩きはつらい。金を払ってジムの会員になれば、元を取りたいというけちなモティべーションが加味されて、スポーツ音痴の私でも、何かのエクササイズをやることになるのではないか。

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2009/06/11

Twitterに注目、ネットの有力な媒体になりそう

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 Twitter のことを耳にしたのは、いつのことだったか。日本でも始まったのは1年ほど前。たった1-3行程度のメッセージをネットにアップする。「つぶやき」とか「今何している」とか、「今日の夕食は何」とか。そのときは、くだらないと思った。その程度のブログがはびこっていて、そのことをつぶやきたいほどの心境だった。その後アメリカで意外な展開を遂げていることを知った。ネット上の媒体として急成長している。書いたり読んだりしている人が、この一年で十数倍も増えたという。とうとう雑誌「TIME」が特集記事を組む(09/6/15号)ほど社会的インパクトのある存在となったらしい。その記事のタイトルは「Twitterが生活を変える("How Twitter will change the way we live")」である。私も二月ほど前から、英語と日本語でtwitterしてみて、そのコミュニケーション媒体としての力を感じ始めているところだ。

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2009/06/08

東京とウィーン、地下鉄スリ事情

 不意の所用で上京、銀座線浅草駅から東京自宅のある都営線曙橋駅まで、二度乗り換えて30分あまりの車中。感心したのは、乗客のみなさんのいたって無防備なこと。というのも、先日オーストリアに旅行した時、ひどいスリ(というより強盗的掻っ払い)に遭い、それ以来すっかり用心深くなっていたからである。海外によく出かける息子にいわせると、私がウィーンで経験したようなことは、世界中の大都市の標準レベルなのであって、東京やその他日本の大都市は、その世界標準から隔絶して後れている(いや進んでいる?)のだそうだ。ともかく日本は、治安のいい点で有り難い国なのだが、それに慣れた日本人が、海外の大都市へ行き、公共交通機関などを利用すると、いい餌食になる。私の経験をお話ししておこう。

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2009/06/04

現実への復帰

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 ウィーンに遊び、旧市街の裏路地を徘徊し、地下鉄車内にて強盗的スリに遭い、めげずにハルシュタットの湖岸に憩い、ロープウェイにてオーストリアアルプス・ダッハシュタインの高地に登り、しばし白銀の世界を垣間見、ザルツブルクにて大司教の栄華(なんと世俗的!)と、その支配から脱出したモーツアルトの往時に思いをはせ、夢見心地で帰国してはや1週日。現実、それも新しい現実への適応に、夢さりぬの近況報告、少々。

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2009/05/03

結婚50周年

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【この機会に、古い写真をお目にかける。71年秋、子育て真っ盛りの時期。長男:小4、次男:小1の頃である。私らは36歳】

 今日は、私たち夫婦にとって、結婚50年の記念日である。格別のことはないが、私たち夫婦の50年を回顧してみる。

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2009/04/16

ネモフィラの丘

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 【画像をクリックすると、拡大画面がポップアップします】

 国営ひたち海浜公園に、この時期、ネモフィラの花で覆われる丘がある。はじめて行ってみたが、なかなか見事である。北海道・網走に近いあたりにシバザクラで知られる丘が1,2カ所あり、訪れたことがある。あれほどの華やかさはないが、ライトブルーに染まった丘も清々しくて好ましい。

 ネモフィラは、花壇の花としてこの頃よく見かけるようになった。ルリカラクサ(瑠璃唐草)とも呼ばれるらしい。ネモフィラの名は、「林を愛する」の意味だという(ここ)。フィロソフィア(知を愛する、哲学)と共通する語源を持つ。

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2009/03/09

怪我の功名

 このブログの読者で、タイトルを読めない人はまさかいないと思うが、最近えらい人でも読み違える人がいるらしい。念のために書いておこう。「けがのこうみょう」と読む。「カイガのこうみょう」とか。「けがのコウメイ」ではない。

 さて、一月ほど前、「とうとう主夫役を」を書いた。その後の経過報告をしようというのが、今日のテーマである。妻が肩を痛めるというアクシデントがあり、主夫役をしぶしぶつとめることになった。その後「仕方がない」から「面白いじゃないか」へと変わってきた。妻は「しめしめ」と思い、私が「楽しみ」、夫婦ニコニコして台所仕事や庭仕事にいそしむ。これぞ「怪我の功名」ではないか、というわけである。

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2009/02/06

とうとう主夫役を

 つい先日、アイロンかけ役が回ってきたことを書いた(ここ)のだが、今度は全面的に主夫を務めることになってしまった。わが連れ合いは何かと事故が多い人だ。転びやすい。今回は風呂場で転んだ。手をついて体重を受けて、肩が傷んだ。腕が上がらなくなり、動かす向き次第でギクリと痛いという。脱臼とかしているかもしれないんだから、診てもらったらと勧めたが、いやだという。医者嫌いである。そうこうして、10日が過ぎた昨日、自分で整形外科医院に出かけていった。何か自覚するところがあったのだろう。迎えに行ったら、右腕を三角巾で吊った姿で出てきた。腱板損傷と診断されたという。腕と肩のいくつかの筋肉を互いにつなぐ役割をしているのが「腱板」である。それが部分的に裂けた状態らしい。手術してつなぐのがいいのだが、老齢者は手術せずに、養生して自然治癒を待つという方針だそうだ。1ヶ月は三角巾で腕を固定して、肩を動かさないように心掛けよといわれたという。

 利き腕を固定されては、ほとんどの家事ができない。ということで、この日から炊事や洗濯などあらゆる家事がこちらに回ってくることになった。特に問題は料理である。これまでほとんどやったことがない。はじめて、野菜を刻んだり、炒め物をしたり、鍋から盛り分けたり、配膳したりの作業をすることになった。今までは「ご飯だよ」の声がかかるまで書斎に籠もっておれたのに、毎食ごとに立ち働かなくてはならない。

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2009/01/31

小分けして、片付けていく

 前のエントリに、大きな問題を抱えて、にっちもさっちも行かなくなった現状を書いた。ふと思い出したことがある。仕事術のヒントである。大きくて、難しい問題は、小分けして、できるところから片付けるといい。マネージメントの本でも読んだこともあるし、現役時代はそれでやってきた。退職後、時間があることをいいことに、あれこれの問題に興味を持ち、それをできるだけ包括的に、原理的なことから考えていこうとするようになった。そんな傾向に気づく。身の丈相応に、当座の納得ですませばいいのに、深く掘り下げようとする。それではいつまでもファイナル・アンサーに辿りつけない。第一、そんなものはありっこない。とりあえずの答えでいいのだ。そう気が変わると、気持ちも楽になった。

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2009/01/29

何も書けない日々

 このところ、何も書く気がしない。力が抜け、無気力に陥っている。年のせいか、思考力も鈍ってきたようだ。考えるべき課題はあるのだが、柄になくでかい問題に取り組んでしまって、自分の中から答えが出そうにない。新たな学びが必要なのだが、取り組むだけの気力が失せている。パラパラとあれこれの本や論考を拾い読みし、これはという本に向かってみると、集中して読み続けることができない。さまざまの想念が頭をよぎり、読むのを邪魔する。自分の内心の問題なのだが、社会に漂う閉塞感にも災いされている。

 麻生政権の誕生以来、日本の政治はほとんど停まっているように見える。ダラダラと時間を先送りしている。本当にあるべきこと、政治局面の転換、がやってこない。それまでは、ゆっくりと進行する中身のない芝居を延々と見せられているような気がする。わけが分からないフィルムを超スローモーションで見ているような。

 福田内閣の突然の退陣からこんな状態になったのだが、福田退陣はもうずっと昔のような気がする。何月だったか。そこから不毛な時間が流れ続けている。経済危機が勃発したのに、給付金などというトリヴィアルな施策を、ああでもない、こうでもないと延々と論じ続け、まだ出口は見えない。かの国ではオバマが颯爽と登場し、次々と新政策が打ち出されている。そんな局面転換がこの国でも起きてくれないものかと夢見るが、変わらずちんたらとやっていくのだろう。

 この無意味な長芝居の後に、本番はやってくるのだろうか。それがやってきてくれないことには、私の気分も晴れそうにない。仕方がない。集中力を欠きながらも、マイペースで、大問題に取り組んでみよう。しばらくは充電期間だ。

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2009/01/08

マサイの人のように歩ける靴、MBT

 年賀状代わりに「てとら」という名の家庭新聞を送っていること、今年分をホームページ本館に載せたことを、ひとつ前のエントリーに書いた。その年賀状を送った高校同期の友人からメールが来た。私がこのところ足底筋膜炎に悩まされて、ウォーキングもままならないことを年賀状に書いたのだが、それについて、こういう特別な靴がある、自分も使っているがとても効果がある、試してみたらと、メールにあった。ありがたい友だ。

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2009/01/01

年頭ご挨拶

 新しい年になりました。歳をとりますと、新年を迎えることは、嬉しいことではありません。「おめでとう」などといいたくないのが本音です。できればゆっくりと時間が過ぎ、新年など来てほしくないです。でも仕方ありません。慣習にしたがって、年賀状を出し、人に会えば、「おめでとう、よろしく」と頭を下げます。

 わが家の年賀状は例のごとく、ちょっとした家庭新聞です。こちらにも載せました。毎回、過去一年のまとめ報告のようなものを書いています。今回も、ごく自然に書いたつもりですが、「老い」のぼやきがくりかえされているのに愕然としました。しかし、それが現状なのです。

 さて、このブログ。引き続き、マイペースで無理をせず、書きたいこと、書けるだけのことを記していくつもりです。よろしくお付き合いください。

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2008/12/26

アイロンかけ入門

 とうとうアイロンかけの役目が回ってきた。わが家での妻との家事分担には厳しい一線があり、一寸の攻防にしのぎを削っている。我が軍の方がつねに勝ち目が薄い。食器洗いとコーヒー淹れは、とうの昔に私の役目になっている。最近は食後のフルーツの準備(たとえばリンゴを洗ってカットするなど)が微妙にこちらの役になってきている。入浴後のバスルームの水滴拭き取りも私がやることが多い。一旦手出しすると、それを定着させるのが敵の戦略である。そこに来て、洗濯物のアイロンかけが新任務となった。

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2008/11/27

老後はたえざるダウンサイジング

 アメリカのかつての研究仲間に久しぶりに会ったとき話していたこと。退職を機に、自宅を手放し、生活をダウンサイズして、アパートに移るという。うらやましいほどの素晴らしい邸宅に住んでいたが、退職して年金暮らしともなれば、それなりの棲み方に合わせていくという割り切りの良さに感心した。考えて見れば、歳をとるとともに、何段階かで、ダウンサイズしていくのが老後というものだ。

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2008/10/30

しばし東京にて芸術の秋

 7日間ほど東京にいた。ブログの書き込みのできないネット環境だったので、こちらも、サブの「雑記帳」も、空き家状態にしてしまった。iPhoneから「雑記帳」のブログサイト:Bloggerに、写真やテキストを送ることができるソフトがあり、それを試してみたのだが、うまくいかなかった。書き込んだのだが、届かなかった。ゆくゆく何とかこなしたいと思っている。

 7日間、あれこれのスケジュールがずっとあった。うまく繋がっていたともいえる。連日、日によっては二つ三つの用件があったりして、充実した1週間だった。絵の展覧会二つ、コンサート一つ、写真仲間との撮影会一つ、アップルストアで技術相談の予約取り1回、本番1回、あれこれの友人との会食四回、夫婦での外食数回などであった。忙しく時間を過ごしたので、東京に出たときの恒例である、書店でゆっくり時間を過ごしたり、カメラやパソコンなどの新製品を見に行ったりという機会がなかった。

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2008/10/04

08年9月の「雑記帳」

 別のブログ「アクエリアン雑記帳」をはじめて(ここ)、1ヶ月になる。こちらより気楽に、見たり、聞いたり、気になったりしたことを、断片的で、未完成なまま書き流している。こちらの読者にも読んでいただきたいので、1ヶ月ごとに、おおざっぱな分類をして、タイトルをこちらに載せることにした。

 ひと月やってみて、結果としては、こちらのブログとの差異はあまりないのだが、あちらは「気楽に、書き流し」ということになる。こちらは「じっくり考えた」もの、ということになるが、あまり気張ると、こちらには書けなくなってしまう。そのあたりは、まあ、いいかげんにやっていくつもりだ。

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2008/09/07

車を買い換え

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 車の買い換え大作戦が、やっと終着点に来た。これまでわが家には2台の車があった。私は比較的大きな普通車アリストを、パートナーのみやは軽自動車のヴィヴィオを使っていた。遠距離のドライブ用にはアリスト、近場の用足しにはヴィヴィオと使い分けていた。高速道路を使った遠距離のドライブには、なんといっても大きな車が快適で、安全だ。近場では軽自動車で十分用が足りる。それにパートナーは、かつてアメリカでは大きな車を乗りこなしていたとはいえ、このところずっと軽自動車に慣れ、それしか運転できないという。1台の小型乗用車にするという考えはとうにあったが、パートナーが運転できるかという点で難があり、退職後7年、車2台態勢でやってきた。

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2008/08/23

iPhoneは使いものになる

 iPhone(正確にはiPhone3Gだが、以下単にiPhoneとする)を2週ほど前に手に入れた。主たる目的は、水戸の本拠地から、東京宅へ,あるいはほかの旅行先へ出かけたさいに,メールの送受・ネット接続などをおこなうパソコンの代用として使うためであった。いつも重いノートパソコン(Macのノートは、とても重い!)を携行する必要があった。その代わりになるか。iPhoneを入手した直後の信州旅行、今回の東京滞在で,十分使いものになることを確認できた。それに加えて多様な機能もある。使用感が楽しく、快適だ。これは期待以上の代物だ。

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2008/07/26

バズーカからレグザへ

 そろそろだな、と思っていた。地デジ対応の薄型テレビである。少し気になって、調べてはいた。ときには電器店に行ったついでに、テレビのコーナーに入って、眺め回したりもした。しかしまだ買い時ではない。北京オリンピックを当て込んで買わせようと、メーカーも販売店も攻勢をかけている。そういう風潮に乗りたくない。あまのじゃく気質である。北京オリンピックの放映を見る気がない。どこかテレビのないところに待避したいほどの気分でいる。だから秋頃かな、と思っていた。
 ところが、何と、買ってしまったのだ。それも地元ではなく、東京でなのだ。

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2008/07/15

生ごみゼロをめざして

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 生ごみ排出ゼロを心がけている。コンポストを使ってきたが、いっぱいになると、その始末にてこずる。まだ土に戻すには早い。もう一つコンポストを置くには、庭のスペースが足りない。そんなところに「生ごみ処理機」のことを耳にした。市から補助金が出ているという。4〜6万円の処理機を導入すると、2万円の補助が出る。早速購入し、市役所に行って補助金の申請をした。このような処理機があることも、補助制度があることも知らなかった。数年前にはじまったことらしい。案外知られておらず、普及もしていないのではないか。どんなものか、使いはじめて約1ヶ月の経験を紹介しよう。

【画像説明】奥右が、生ごみ処理機の蓋を開けたところ、蓋の裏にヒーターとファンが取り付けられている。右手前が、刻んで乾燥中の野菜かすなど。左奥は乾燥中のコーヒーかす。左手前が、処理後の生ごみ。画面をクリック→拡大。

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2008/06/22

ジャガ豚と「ほげる」

 「そんなにくっつけて蒸しちゃあ、皮がほげちゃうよ」。思わず飛び出した「ほげちゃう」は、連れ合いも理解できる大分弁である。いや、大分弁とも意識せず、自然に口から出た言葉だった。それが相手に通じ、「それ大分弁よ」と返されてしまった。そうか、そういえば久しく使ったことがなかった。でも、その表現が、ジャガ豚の皮が破れた様子にはぴったりで、それ以外適切な言葉がないくらいだった。

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2008/05/23

生活レベルを下げていく時代へ?

 車をどうするか、連れ合いから問われている。年金生活世帯だというのに、2台の車をもっている。一つは比較的大きな乗用車。遠出のためである。一つは軽乗用車。近場の用を足すためである。大きい方はめったに使わない。遠距離ドライブはせいぜい年一度か2度。あとは海外旅行に行くさい、荷物ごと成田に行き、駐車するためである。水戸という場所柄、それがいちばん便利だ。軽一つにすることを連れ合いは主張するが、遠出のドライブでの快適さ、安全性を考えると、大きな車を手放しかねている。しかし、5万円を超す自動車税の請求書を手にして、年金生活者としては考えてしまう。

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2008/03/04

鵜原の岬にて

 少し旧聞になるが、2月初旬、千葉県外房海岸の鵜原温泉へ行った。顔面神経麻痺を患い入院したあとの気分転換と、温泉浴が麻痺の回復に多少なりと効くことを期待しての温泉行だった。温泉もさることながら、あたりの風光の希有な美しさを知るという余得もあった。かつて与謝野晶子ら文人たちがこの地を愛で、理想郷と呼んだということは、宿探しのときに知ったのだが、実見してみて、なるほどと納得した。

 事後に思いがけないことがあった。一つは例のイージス艦による漁船沈没事件である。滞在中、岬の狭間にある小漁港をいくつか見た。例の漁船は同じ勝浦市にある別の小漁港から出ていったのだ。もう一つ。三島由紀夫がこの岬を舞台にして書いた「岬にての物語」をその後読んだこと。そぞろ歩いたあの岬の風景とこの物語が、鍵と鍵穴のようにぴたりと結びついて、ロマン溢れるものとして思い出された。そうとは知らず無作為に撮ってきた写真を見直してみて、一編のアルバムとしてみた。それも併せてごらんいただこうというわけである。【アルバム→フォトギャラリー、0802鵜原の岬にて

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2008/02/25

墓の準備

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 まだまだ死は遠い将来のことと思いながらも、死後の後始末のことは考えておこう。親を見送った頃から、そのことは何となく気になっている。連れ合いからは、葬儀の仕方や相続のことなどを書き残しておいてほしいと、注文をつけられたことがある。自分の方が長生きするつもりだなと思ったら、自分の分はとっくに書いてあるという。ひとりで海外旅行に出かけたことがあった。その折に、概略の方針のようなものを「遺言ノート」という出版物を利用して書いておいた。葬儀をしないこと、僅かの遺産は二人のうち残された方の老後の生活費に当てること、その他の後始末のことなどである。ただ、そこに書けなかったのは、遺骨の始末のことだった。それを今回決めることができた。手に入れたのは、普通の墓地ではない。共同墓の一種である。夫婦墓であること、宗教・無宗教不問のこと、全費用を前払いできることなどが気に入った。

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2008/01/21

退院しました

 本日、1月21日(月)、18日間の入院を終え、退院しました。ご心配をかけたことおわびし、お見舞いのメールやコメント、電話などを感謝いたします。顔面神経麻痺は、まだ部分的に残り、現状では半分程度の回復と医師に言われましたが、今後時間をかけて徐々に治っていく見通しです。とりあえず、退院のお知らせまで。

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2008/01/16

息子の入院見舞いで、親子関係を顧みる

 私の入院を知って、息子たちが見舞いに来た。重大な病気でもなし、わざわざ東京から一日を費やして来ることはないと伝えたのだが、それでもやってきた。それが嬉しかったのである。親子の情が通じ合っていることを喜ぶ自分の気持ちが意外だった。わが家の親子関係は、普通の家庭に比べてかなりさばさばしたものであると自認していた。それでいて、この感情。その出来事をきっかけに、わが家の親子関係を顧みて書いてみようか、という気になった。【病室で書いたものを、午後2−3時間の一時帰宅時にエントリアップしている。退院は1週間後の予定。麻痺は3割程度回復。時間はかかるが快癒の見通しか】

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2008/01/11

入院中

 新年を迎えて書いた前のエントリで、「顔面神経麻痺(ベル麻痺)」を患ったことに触れました。わたしの素人判断が甘すぎて重症となり、現在入院中です。ちょうど年末年始の休み時期であったため、病院に行くのをためらったのが不幸でした。なんとかして急患としてでも病院に駆けつけるべきでした。親類の医師から耳鼻科がこの病気の専門であると知り、1月4日に近所の医院へ行き、そこからの紹介で、水戸市内の総合病院へ紹介、即入院となりました。遅れて治療を始めたため完全に回復するかどうかのきわどいところでした。現在回復の兆しが見えてきていますが、時間がかかりそうです。ステロイドの大量点滴を開始し、経過を見ながら徐々にその量を減らしていくという治療を受けています。10日ほどの入院が必要と告げられ、現在一週間経ったところです。回復の見通しありとの診断は出ていますが、さらにブーストと称する、二度目のステロイド注入をくり返しすことになりました。さらに一週間程度病院にいることになります。ネットもメールもできない環境です。緊急のメールや掲示板の迷惑書き込みに対応したいと、2,3時間の一時帰宅を願い出て、帰宅してこのエントリを書いています。
 入院は、ゆっくり本を読んだり、ものを考えたりするいい休養の時間だと思っていましたが、点滴、診察、検査、顔面のマッサージ、食事などけっこう忙しいです。あたりは騒々しく(隣室のおばさんたちの絶え間ないおしゃべりなど)落ち着けません。消灯時刻、夜9時を厳守させられ、寝つけない、早く目覚めてしまうなどにも悩まされます。顔面をのぞけば、身体は普通なのですが、すっかり病人気分になり、思考も低レベルで推移しています。
 そんなことで、あとしばらくご無沙汰します。

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2008/01/03

新しい年

あけましておめでとうございます。
本年もこのブログ上でのお付き合いをよろしく。

わが家では、家庭新聞「てとら」をお送りすることで年賀状の代わりとしています。その08年号をHP本館に掲載しました。そこに現状報告を書いています。よろしければ、ごらんください。

 このところすでにそうなっていますが、このブログの新エントリ掲載はますます間遠になると思います。ここに何かを書かなくてはという、責めたてられるような気持ち、大げさにいうと強迫観念、をさっぱりと捨てて、興に乗ったら書くということにします。年齢相応にスローペースでやっていこうということです。RSSリーダーで見かけて、面白そうだと思われたら、読みにおいでださい。

 近況報告を少々。

 年末に顔面神経麻痺を患い、折悪しく治療を受けられず、経過がよくない状態です。病院が年末の休院中であったこと、この病気は2度目で、前回医者から即効の治療法はなく自然治療に委ねるほかないといわれたのを覚えていて、甘く考えてしまいました。時間がたったわりに快方に向かっていません。休み明け次第、診察を受けにに行くつもりです。

 年末年始にかけて、とても興味深い本を読みました。リー・スモーリン「迷走する物理学」。物理学の最先端、素粒子物理がほとんど行き詰まっているのではないか、それは現在の物理学研究のあり方が間違っているのではないか、という告発の書です。「ストリング理論」の歴史を一般向けに解説した上で、物理学研究者と自然科学研究者へ鋭い警告を発しています。非専門家にも、現代の科学をどう考えるかについての手がかりを与えてくれます。久しぶりにゾクゾクするような知的昂奮を味わいながら、450頁をじっくり読みました。いずれ、少し詳しく紹介するつもりです。

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2007/12/11

届かなかった手紙

 「おれ、お前に打ち明けることがあるんだ」。つい先日、高校の在京同期会の忘年会にでたときのことである。何ごともあけすけに話して憎めない「ボッチャン」というあだ名の友人が、今回もカラッとうれしそうに話しはじめた。この人のことは2年半前にここに書いたことがある。それに目を通してから、以下を読んでいただくといいだろう。「お前が転校してからさ、すぐのことだったんだけど」。そう、僕は高校3年になって間もない6月、突然の転校をしたのだった。「同期の女の子がおれに頼みがあるといってきたんだ。お前に手紙を送り届けてほしいと」。転校後、僕は近況をクラス宛ての通信として何度か送っていた。その地方では有数の進学校の仲間に東京での受験事情などを伝えれば、少しは役に立つかと思ってのことだった。多分そのことを知って、クラスの代表株のボッチャンに頼めば、僕に手紙を届けられると思ったのだろうか。「いいよ、と引き受けたのだけれど、おれ、けっきょくお前に送らなかったのさ」。こんなことを平気な顔をしていえるのが、この人なのである。

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2007/11/01

九州への旅(1) 50年の隔たりを超えて

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 しばらくブログを空けたのは、10月後半、九州への旅をしたからである。福岡、日田、大分、竹田、阿蘇、熊本、天草とめぐった。観光というより、友人と会うことが目的だった。福岡では高校時代の旧友と50年ぶりにあった。その彼が日田と耶馬渓を案内してくれた。大分では妻と旧知の場所を訪ねた。二人の出会いの地である。竹田では妻の裂織仲間を訪ね、連載ものを書いている機関誌のためのインタビューをした。過疎も極まれりといえるほどの土地に窯を築き陶器を焼く夫と住みついて、織り三昧。じつに面白い人だった。阿蘇から先は、インターネット上での写真仲間4人と合流しての撮影旅行。彼らとは初対面だった。主宰してくれた人の、多方面に亘る創造活動のエネルギーに驚嘆し、異才のフォトグラファーと畏敬している友人と撮影行をともにする充実した日々だった。

 そのすべてを一編で語るわけにはいかないので、今回は冒頭に掲げた写真に写っている3人、NとAと私が、50年の時を隔てて再会した時のことを話題にしよう。この画像は昭和26年(1951年)、私が高校2年、NとAが高校1年の時のものだ。3年生の卒業アルバムのために撮った生物部に所属する生徒と指導教官の集合写真から、3人の写っている部分だけをトリミングしたものだ。後列左からN、A、ひとりおいて右端が私である。当時この3人は折に触れて集まっては、背伸びした知的会話を楽しんだ仲である。Nは現在九州大学名誉教授、Aは経済産業省のキャリアを終え、会社勤めのあと悠々自適の身、一生を独身で過ごした。私はこのあと、大学受験までに物理学志望に転向し、物理研究者の道を歩んだ。この集合写真は、そんな3人の将来を予感させるとも、予想だにつかぬともいえる。

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2007/10/11

新老人vs.旧老人(暴走老人?その3)

 二つ前のエントリで予告してしまったので「暴走老人」について私の考えをまとめてみようと、あれこれ書いてみたが、気に入らない。誰でもがいいそうな月並みなことしか書けていない。それを載せることは止めにして、別のことを書くことにした。これも特に新味があるわけではないが、われわれ世代の老人にとっては、これから深刻な問題となるかもしれない。そんな予感がすることを取り上げてみる。

 藤原智美(前の二つのエントリ参照)は、暴走する老人に「新老人」という言葉を使った。私は別の意味の「新老人」がこれから出現し、老人の世界がこれまでの「旧老人」だけのそれから、大きな変化を遂げるのではないかと予測する。「旧老人」にとっておそるべき「新老人」の登場である。それはすでに2007年問題として話題になっていることの一側面といえる。2007年(今年のことだ)から始まって、いわゆる団塊世代が大量に定年退職する。それにともない、さまざまな社会経済的な問題が出現する。主として企業での年齢構成変動や技術継承、多額の退職金の金融面への影響、政府における社会保障支出の増大、新需要の創出などが問題とされている。私たち、すでに退職生活に入っているものにとって身近な問題としては、新しい大量の退職者群が、いわば新「遊民」として、われわれ旧「遊民」の世界に入ってくるということだ。彼らはさまざまな場に現れはじめ、圧倒的エネルギーと数とで、これまでの老人社会を変えていくのではないか。それはきっとわれわれ旧老人にとって、脅威となってくるだろう。

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2007/10/08

暴走老人?

 最近老人がキレやすいという話しを聞く。そういえば自分もキレやすくなったかな(いやもともとその傾向があった)と思っていたところに、ちょっとしたきっかけがあった。そんなことで、藤原智美「暴走老人!」(文芸春秋社、07年8月刊)という本を読んでみたのでそれを話題に書いてみる。書いているうちに長くなったので、今回は読むきっけになったちょっとしたことについて。この本についての感想は次回。そこでは、書かれていることは、だいぶ違うんじゃないか、という話になろう。そして次々回に、じゃあ自分はどう考えるかを書くことにする。それほど熱をこめて書くほどのことでもないのだが、最後までまとめきれていないので。

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2007/09/05

常ならぬ日々

 年とってくると、日々は平穏に過ぎていく。それに慣れてしまう。だからここ1週間、夫婦二人して、東京で、それぞれの展覧会に参加となるとおおごとである。その顛末、私の、にわか独りもん生活、そして誘われてmixiなるものをはじめたことなど、とりとめなく書いておこう。

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2007/08/25

みや、全国裂織展入賞

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 連れ合いのみやは裂織を趣味にしている。こつこつと根気のいる手作業を得意としているが、しょせん退職後にはじめた趣味程度のものだ。その道に若いときから打ち込んできた手織り作家とはレベルが違う。それでもプロもアマも同列に応募できる「全国裂織公募展」に、毎回応募してきた。入選し、会場に展示される、それでよし、というところだろう。ところが、どうしたことだろう、今回の第4回展に応募した作品が「佳賞」(裂織作品部門)に入賞した。めでたいことなので、彼女の入賞作品と、展覧会の紹介をしておく。

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2007/08/24

今年の信濃追分

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 今年もまた信濃追分にある友人の山荘へ行ってきた。ここへは、ほとんど毎年おじゃましている。私たち夫婦だけのこともあり、共通の知人グループが5夫婦集まることもある。晴れていれば、早朝に起き、近くの早稲田セミナーハウスの野球練習場へ行き、浅間山全体を望み、写真を撮る。今年撮りに行った朝は剣が峰に雲がかかっていたが、浅間山(標高2568)自体はよく晴れ、赤い地肌を見せていた。その間の山裾にある側山、石尊山(標高1668m)がくっきりと浮かび上がって見えた。

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2007/07/26

非難ばしご

 居酒屋で飲んでいた。ふとわきを見ると、ドアがあって「非難ばしご」と大きく書いてある。なんだかおかしい。酔いが回った頭でボヤーと考える。ホッピーわり焼酎という安酒を、注ぎ足しを追加までして、かなり飲んでいた。「非」はいいとして、「難」がおかしいのかな。いやいや、待てよ、「避難」ではないのか。それとも「非常」かな。それに、「はしご」とは何だ。ドアを開けると梯子があるのか。ビルの窓から地上に降りる、縄ばしごかな。いやだな。まてよ、ここはたしか地下のはずだ。まさか縄ばしごではあるまい。ドアを開けると、木製の梯子でもあって、地上に登るようになっているのか。

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2007/07/08

ある食事会

 思慮深く、ていねいに用意され、和やかに、しかしきちんとすべきところは妥協のない食事会だった。表向きは懇談会だったのだが、じつは食事のほうがメインだった。意義深かった。そのように私は感じた。そのことを書いてみよう。

 井の頭公園に近い駅を降りるとすぐ閑静な住宅地に入る。先日知り合ったばかりの大学教授が、途中まで迎えに来てくれた。その温顔とともに招き入れられた部屋には、すでに何人かの若者が集まっていた。隣接するキッチンでは、教授夫人とこの日の食事会の主宰者(旧約聖書学者のMさん)が、ほとんど準備を終え、前菜を大皿に盛りつけていた。この主宰者が、訪れた教授のお宅を場に、若者たちとの食事会を開催しようとしていた。

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2007/07/01

雨の降らない梅雨、つい毎日ウォーキング

 朝、歩きに出る。私の唯一の健康法だ。梅雨である。明日は雨になるかもしれない。今日歩いておこう。そんな日が続いて、ほかの季節よりかえってせっせと歩いている。連日歩くと、足腰に疲れがたまる。ときどき一日休みを入れるのが普通だ。しかしこの時期は難しい。今日休み、明日雨で、2日続けて休み、とはしたくないからだ。今年の梅雨はおかしい。天気のブレも予報のハズレも例年より大幅なのではないか。水戸では、一昨日は蒸し暑く、はじめて冷房を入れた。昨日は寒くて、下着を着たり、靴下をはいたりした。

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2007/06/04

トラブルを楽しむ

 ミラーサイトのほうにコメントをいただいたさいに書いたことだが、このところのニフティとのトラブルを、私は楽しんでやっている。いじめを受けているように見えるかもしれないが、ある段階から、よし、これをとことん楽しんでやるぞ、と気持ちを切り替えた。巨大プロバイダーが規約をかざして攻めてきているのに、楽しむなど、まるでドンキホーテみたいだが、それでいいのだ。

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2007/05/28

断片的に、現状を

 これは私の現状報告的なメモである。私の生活が、いかにゴチャゴチャであるかを、自己描写的に書いておこう。それぞれにまとまったエントリに発展させるつもりもあるが、それには時間がかかる。このところ忙しく過ごしているので、断片的なメモとする。

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2007/03/14

武州石神井邑・油屋 勝右衛門

070314aburaya  妻の母方の先祖は練馬区石神井あたりに住まう豪農であった。その家族の物語を妻の妹夫婦が書き、私家本として出版した。この家族の繁栄と没落の物語のさわりと、長年の調査の末に本の出版にこぎつけた妹夫妻、特にその夫のことを書いてみよう。

 油屋を屋号とし、名字帯刀を許されて本橋勝右衛門を代々名乗ったこの家は、江戸西郊石神井にて油絞りその他の事業を営み、神田や新宿に店を持ち、明治になってからは北豊島郡の郡長を出した。その次の代が事業に失敗し、没落して石神井の地を離れた。妻の母は、この郡長だった人の曾孫に当たる。土門拳賞などを受けている写真家本橋成一が直系の当主である。

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2007/02/20

今冬、燗酒を好むわけ

 酒を飲むときは、冷酒と決めていた。それもできれば純米吟醸。なかでも「来福」に嵌っていることは、いつか書いた。ところが、このところ、燗をした酒を、好んで飲んでいる。朝ドラの「芋たこなんきん」に影響されてのことだ。田辺聖子をモデルにした女流小説家と、「カモカのおっちゃん」をモデルにした町医者が、毎晩、座卓を挟んで向かい合い飲みかつ語らうシーン、あるいは、近所のおでん屋で、燗を付けたチロリから、お猪口についで飲む場面。冬の夜、なんだか暖かい感じがしてよさそうである。ついお燗派に転向してしまった。私は、飲んだり食べたり、こういうことには影響されやすいのである。

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2007/02/12

出かけていて

 しばらく東京へ出かけて、いろんな用を足していた。東京では、水戸での日常とは別世界にいるような心境になっていて、ブログを書く気になれない。インターネット環境も悪い。次のエントリが待たれているのは分かっていたが、申し訳ない、お休みをいただいた。しかしコメント欄に多くの方から書き込みをいただいたことで、ブログは生きていて、ありがたかった。

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2007/01/09

技術評論家・桜井淳は泥試合を所望。私はパスだ

 技術評論家・桜井淳とは、技術的な問題の是非を論じて、彼の実力と実像を明らかにすることが、ある意味、社会のため(同時に彼のため)と思ってやってきている。しかし、結構こたえているらしい。彼は泥試合に持ち込もうとしている(ここ、こんなものを引用したくないが、まあこれぞ彼の実像だと読んでいただこう)。まあ、好きにするがいい。自らをおとしめるだけだろう。私は、低レベルの争いをしたくないので、今回はパス。私の投げかけたいくつかの問題についての回答を待つ。

【私のブログの読者へ。このところ妙なエントリばかりで、申し訳ない。もうしばらく事態を見守って、あるいは見過ごして、いただきたい。まもなく常態に戻すつもりである。いやそうもいかないか。】

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2006/04/09

ヒルダを迎える

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 しばらく個人的な話題をおゆるしあれ。この欄で話題にしてきたヒルダが昨日午後来日。みやは久しぶりの再会を果たした。久しぶりとは、たぶん十数年くらいになるか。みやは庭に咲く日本スミレでブーケを作り、歓迎の印とした。昨夜はつもる話で夜が更けた。これから水戸で3日ほど静養し、その後、京都、奈良、東京をともに旅する。水戸は今桜が満開、道沿いの並木も千波湖周りの公園も花盛り。今日は絶好の花見の日になることだろう。別のプライベイト・ブログで、旅の様子は、ヒルダの家族・友人に逐次報告している。無事の到着で、あちらでもほっとしていることだろう。何しろ彼女にとって、日本はおろか、アジアがはじめて。14時間もかかるフライトもはじめて。ちょっとつらかったようだが、元気でいると、画像入りで報告をした。上の画像が、その一枚。

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2006/03/29

ゴミ有料化に促されて滞貨一掃

 住んでいる水戸市では、この4月からゴミが有料回収になる。ゴミを減らすための措置なのだろう。安易にゴミを出しすぎる。スーパーの生鮮品につきもののトレーなどプラスティックやペットボトルを、ゴミとして出さずに、スーパーの進めている資源回収に戻すことを促すだろう。紙などもできるだけ資源ゴミとして出すようになる。いいことだ。そう思っていたら、とんでもないことになった。無料のうちに、家の中にあるゴミ、あるいはいずれゴミになるものを、一気に出してしまうのだ、とワイフ殿が宣(のたま)うのである。もう1,2か月も前からだ。家の中には、電化製品など耐久消費財でもう使わないもの、積年の資料や書類で不要なものなどが山ほどある。それを片づけよう。4月以降、有料で出すなどもったいない。タダのうちに出すのだ。そうプレッシャーがかかった。

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2006/02/07

近況を少々

 数日前に、71歳になった。こんな年齢になったことについて、格別の感想はない。70になったときに、おや、オレももう70代か、と思ったが、71ともなると、70代が、どかっと居座った感じがする。最近の心境については、年賀家庭新聞『てとら』の最後の部分に「仁の繰りごと」として多少書いた。あらためて繰り返すことはないだろう。ホームページ本館に載せてあるので、興味のある方はそちらをごらんいただきたい。ここでは近況を、雑多になるが、断片的に書いておこう。Macのノートパソコンと、iLifeの新版を入手したこと、iLifeの新機能 iWebで別のブログを作ってみようとしていること、どんな読書をしているかなどの近況についてである。

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2006/01/04

「なぜ、男は老いに弱いのか?」を読む妻

 眠りに入る前にふたりとも本を読む。年来の習慣である。妻は、読んでいる本を手に持ったまま、寝込んでしまう、という特技を持っている。バタリと落とさずに、本を上に掲げたまま眠り、気がつくまで長い時間そのままである。これは特技であろう。寝息が聞こえているのに、枕元のライトはついている。またかと起きあがり、手から本を取りあげ、布団をかけ直し、灯を消してやる。何かむにゃむにゃ言っているが、要領を得ない。翌朝になると、そうして寝入ったということなど覚えていない。これがほとんど毎夜のことである。

 二日前の夜も、いつもと同じだったが、ふと見た本のタイトルに驚いた。『なぜ、男は老いに弱いのか?』とある。目が点になるという表現があるが、そのときの私は、ほんとにそれだった。表紙がよくない。「」と「老い」の文字が、男の顔の真ん中に、大書されている。ウヘーェ! ガーンとやられた感じだった。雑読系で何でも読む人だ。なぜこんなテーマの本を? と不思議に思うこともある。しかし、このタイトルはいくら何でもダイレクト過ぎないか。最近ボケが進行中だと、私の身を案じてのことだろう。それはよい。しかし、こんなタイトルの本を、連れ合いに読まれる、夫の立場になって考えてもらいたい。知られずに、こっそりと読むべきではないか。

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2006/01/02

年賀状雑感

 毎年のことながら、どさっと配達される年賀状の束が、楽と苦とを、こもごもに届けてくれる。楽は、久しぶりに知人の近況を知り、それぞれ仕事や生活に真摯に向き合い、あるいは余生を楽しんでいる様子を知ることである。写真入りも多い。本人や家族より、自慢の子供さんを主役にした賀状も多い。毎年もらうと、成長ぶりが微笑ましい。苦とは、こちらから送らなかった相手から賀状がきてしまうことである。特に目上に当たる人からいただいてしまうと、心苦しい。さっそく恐縮の一筆を書き添えて、こちらの返書を出す。

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2006/01/01

新年を迎えて

 明けましておめでとうございます。今年も、このブログを、ほどほどのペースで書いていきますので、よろしくおつきあいください。
 毎年、年頭に年賀状代わりに送っている「てとら」というタイトルの家庭新聞のようなものを、ホームページ本館の方に掲載しましたので、ごらんください。今年で、31号になります。始めると続けざるをえなくて、出しています。以前はガリ版刷りで出していたのですが、ワープロを使うようになり、それがパソコンになり、そのパソコンも何代目かになっています。全部ファイルしてあるので、それがわが家の自分史のようなものになっています。
 上に「このブログを、ほどほどのペースで」と書きました。ずっと読んでいただいておられる方は、お気づきのように、だんだん書くペースがダウンしています。これは私の読み、考え、書くのにかかる時間が遅くなっているせいです。無理して維持しようとせず、成り行き任せでやりたいと考えています。即発反応的にではなく、じっくり考えて書いていきたいと思います。
 年をとるとますますそうなるのでしょうか。表層のことよりも、根元的なことを求めたくなります。そうなると、蓄積のうすいことに気づき、学ぶことが必要になります。今さら新しいことを学んでも仕方がないと思いながら、本を買い込み、読み始めるのです。そんなことに時間がかかり、書くことがいっそう疎かになりがちです。書くのが滞っているときは、そのような時間を過ごしているのだと、ご寛恕ください。
 では、みなさま、良い日々をおすごしになりますように。

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2005/11/06

裂織のポンチョとIsaの本

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一つ前のエントリで話題にしたポンチョの画像です。アイルランドへの旅のある夜、レストランで隣の席に座ったアメリカ人の手織り作家 Isa Vogel が、目をつけて、知り合いになるきっかけになった、みや手製のポンチョです。全体が着物を裂いた布切れ緯糸(よこいと)として織ったものですが、一部に着物の模様をそのまま織り込んでいるのが珍しいところでしょう。画像で上が前、下が後ろです。

 ついでに、親しくなった Isa から送られてきた、彼女の共著の本の表紙をお目にかけましょう。
051107Isa

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2005/11/02

みやも歩けば、Isaに出会う

【今回はパートナーのみやが、こちらのブログにはじめて登場します。アクは現在久しぶりの東京で諸行事をこなし、忙しく過ごしています。HP本館でアイルランド旅日記を執筆中のみやが、その番外編をこちらに書きます。これからも時には登場して、アクとは違った記事をお目にかけます】

 いろはカルタにも登場する諺に、「犬も歩けば、棒にあたる」というのがある。子どもの頃に遊んだカルタの絵柄を、今でも鮮明に思い出す。現在のペット事情の犬と違って、昔の犬は庭や玄関先で飼われ、野良犬も多かった。そんな犬がときどき綱を解かれ、あるいはうろついて、悪戯をした。「コラーッ。何するんだーッ」と怒鳴られて、棒で叩かれることがあったのだろう。ジッとしていればなんにもないのに、なまじ動くから、棒で叩かれることになる。冒頭の諺のそもそもは、そんなドジな犬の姿を現していた。そのことから、何かをすると思いがけない災難にあうものだ、という譬えになっている。

 ところが、いつの頃からか、この諺はプラスの意味で用いられるようになった。ジッとしていないで何かやれば、思いの外の幸運にぶつかるというのだ。犬だって歩いていれば、いいこと(ひょっとして美味しい骨=棒!)に出会うのだ。犬が棒で叩かれるなんてことは動物虐待にあたるから、最近ではそんなことは滅多には起こらないし・・・!。

 つい先頃、この諺の意味を思いおこす出来事があり、「みやも歩けば・・・」とつくづく感じた。私は戌年。犬大好き人間である。

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2005/09/01

くろご専業10日間

 連れ合いが趣味としてやっている裂織なるものの全国展が開かれた。彼女は実行委員の一員である。写真撮影やインターネットをやれる人がいないというので、私が手伝うことになった。そのあたりの事情は、以前のエントリ(「僕がくろご5号になったわけ」)に書いた。応募作品の搬入から審査、そして展示準備から、7日間の展覧会などの、裏方をつとめた。全期間はおろか、ちょっとだけ顔を出して手伝うつもりが、結局、全期間中毎日朝から夕方、時には夜までつき合ってしまった。ふだんと全く違い、これまでの生涯で経験したことのない世界に浸りきって過ごした。本業のつもりのネットを媒介とする読み書きの知的作業や、趣味の写真撮影は全くできなかった。やはり歳である。忙しくはないのだが、その場所にずっとい続けなければならなかった。それだけのことが、別のことを、まして知的作業を、同時並行的にやっていくエネルギーを失わせた。ネットでいつも読んでいるページを読みに行くことすらできなかった。

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2005/08/19

裂織をご覧になりませんか

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 裂織(さきおり)とは手織りの一種である。古い布を裂いたものを、織り糸ととして使う。古着のリサイクルとして、日本各地で昔から行われていたらしい。布はとても大事なものだった。現代、それは手織りの手法の一つとして甦った。伝統的なもの、美術工芸的なもの、そして日常着などとして、このところ織る人が多い。私が姫路に赴任していたころ、私の連れ合いはその地で手織りを習い、裂織にひときわ興味を感じたらしい。

 全国規模の展覧会があり、その第2回に応募して入選した。気をよくして、今回の第3回展にも出品し、入選を果たした。その作品を作るにあたっては、多くの方から、和服の提供を受けた。その事情や、作品についての紹介を、HP本館に書いている。第3回全国裂織展は、8月24日(水)から30日(火)まで、上野広小路・鈴乃屋本店で開催される。興味のある方は、おいでいただきたい。私も「くろご5号」として、この展覧会のお手伝いをしている。21日(日)から、そのための東京暮らしとなる。しばらくブログをお休みすることになろうか。

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2005/08/09

近況と雑感

 しばらくブログを空けることになりそうなので、近況を書いておきたい。ついでに小泉首相の政治行動についての感想なども。

 8月に入って、やけに忙しい。世間では夏休みの時期である。遅ればせながら猛暑がやってきている。間もなくお盆休みで、動く人が多い。こういう時期、年寄りはエアコンの効いた室内に蟄居しているべきなのだ。それだというのに、何としたことか、外に出かけなければならない用事が、7月末から8月末まで断続的に続くのだ。カレンダーで数えてみると、8月中で、本拠の水戸自宅にいる日がわずか9日である。それ以外は、信州の友人宅その他で4泊のほかは、東京での用事である。

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2005/07/31

僕が「くろご5号」になったわけ

 ある団体のくろごになってしまった。「くろご」は、「黒子」あるいは「黒衣」である。黒衣を着て、舞台の主役たちの補助をする、あのくろごである。根が優しく、人の頼みを断れないたちである(ホント?)。人が困っているのを見ると、見るに見かねて手を出してしまう。今回もそうだった。気が付いてみたら、いつの間にか某団体の黒子になっていた。裏で働くまでは仕方がないが、表には出たくない。だから黒子。それも「5号」。団体の活動を裏で支えている方が、観察したところ、3,4人いらっしゃるようだ。私は、勝手に、その人たちを、黒子1,2,3号と呼んでいる。もちろん面と向かってではない。心の中でだ。だから私は、くろご5号。

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2005/06/08

老い先を意識する

 グループの写真展を終えて、疲れているせいだろう。こんなタイトルで心境を書いてみたくなった。近頃とみに「老い先」という言葉が頭に浮かぶようになった。退職直後は、これからの長い老後、好きなことを好きなように楽しめると、「楽しむ老後」をモットーにした。年賀新聞や、HPにそのことを書いたりもした。それから4年。だいぶ心境の変化があった。何か新しいことを始めようとする。あるいは新しい耐久消費財(カメラの新機種とか大型テレビとか)を求めようとする。その時に、これから何年生きて、それを楽しめるかを考えてしまう。そう長くない老先、新規投資はもったいないのではないかと。

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2005/05/07

これから連休

 7,8年に一回、ベストフィットの連休でしたが、こちらは関係なし。世間さまが連休で浮かれている間はひっそりと隠棲していました。連休が終わるこの日。惰眠から醒めた年寄りが飛び跳ねる時期の到来です。ご多分にもれず、私も、しばらくブログを休み、東都に遊んでまいります。パソコンからもしばらく離れますので、新エントリはなし。ごめん。

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2005/04/29

シャラノキ枯れる

050429


 自宅の私の定位置から、はめ殺しの縦窓越しに、目を楽しませてくれていたシャラノキが、今年はいっこうに芽吹かない。近所にシャラノキの並木がある。昨日見に行ったら、若緑の葉を大きくを広げている。わが家のシャラノキは枯死したらしい。昨夏の猛暑のせいだろうか。

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2005/04/20

大分で会った友人たち(3)

 古希を期に高校同期生が集まった折に、50年以上の時を隔てて再会した旧友たちのことを書いている。今回は女性の同期生3人のことを書いてみよう。水彩画家のTaさん、声楽と朗読ボランティアのKさん。そして、もと女子アナで、朗読指導者として活躍しているToさんである。

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2005/04/11

大分で会った友人たち(その2)

 「俺は、ふりかえってみて、本当にいい生涯を送ったと、つくづく思うな。もう一度生まれ変わって、やり直しができるとしても、今までの生涯をその通りにやり直したい」と、I君は、あっけらかんと言い放った。先日大分であった古希記念の同期会で、同じテーブルを囲み、いろいろと話し合ったときのことである。

 「ボッチャン」というあだ名の彼は、無邪気で、開けっぴろげで、誰とも隔てなく付き合う、じつにいい奴だ。あだ名は、漱石の「坊ちゃん」からではなく、いかにも良家のおボッチャンらしい表情、振る舞い、人柄からきている。クリッと愛らしく、またいたずらっぽい目つき、色白の顔立ち、無邪気な振る舞い、自由闊達なもの言いなど、戦後の混乱期にあった田舎の高等学校では、群を抜いて目立つ存在だった。秀才である。勉強熱心でできるというより、頭がよく、格別勉強などしなくても抜群の成績を上げられる、というタイプだ。

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2005/04/07

大分で会った友人たち(その1)

 大分であった同期会で、何年ぶりかで出会った友人たちのことを、書き留めておきたい。個人的な思い出話になるが、お許しいただきたい。

 まずはWのことから。彼が今回の同期会の推進役だった。彼なしには、会そのものが行われたかどうか、と思えるほどだ。世話人会を組織し、何度かの打ち合わせを行い、多くの実務を彼自身がやり、一部は地元の世話人に役割分担をさせ、2百数十人出席の記念会と、翌日二つのコースに分かれての親睦バス旅行を実現した。記念会の進行全体を裏で差配し、翌日の親睦バス旅行では、リーダーかつガイド役を務めた。旅行では、細かいところまで配慮が行き届いていて、みな感心したものだ。湧水に行けば、大小さまざまのペットボトルを人数分だけ用意してあり、それをぶら下げるボリ袋まで使用済みのものをきちんとたたんで持参してあった。途中で銘菓を買い求めて、味わわせてくれた。高原レストランでは、二人ひと組となり、ステーキとビーフシチューの両方を賞味できるようにし向けてくれた。こんな心配りの人だったかと、あらためて見直した。

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2005/04/04

大分へ、何十年ぶりかの「帰郷」

 大分市は、幼年から少年の時期を過ごした思い出多い場所である。小学校4年途中から高校2年までを、そこで過ごした。米軍機が市内を焦土と化した空襲、その果ての終戦、食糧不足の中での買い出しや代用食、新憲法と民主主義の到来、学制改革による新制中学と新制高校のスタート、朝鮮戦争による復興景気・・・・そんな変動の時代のすべてをそこで経験した。栄養不足のせいか、極めて晩生(おくて)ではあったが、この場所で私は、青年への生長を始めたのだった。

 旧制の中学と高女が統合されて、市内に唯一の高校ができて、そこに進学した。市の中心部から少し南に離れた丘の上にある旧制中学の古めかしい校舎が、私たちの学びやだった。3年生になってすぐ、父の任地が変わり、東京に転居した。だからその高校の卒業生ではない。この高校の同期生が、古希を迎えたのを機に、みな故郷に集まろう、という催しがあり、卒業生でない私にも声がかかった。明日大分に出かけるのはそんなわけである。

(このエントリは、3月30日に東京自宅から書き込もうとしたものなのだが、手持ちのノートパソコンが故障し、予備に置いてあったパソコンから書き込もうとしたところ、これがWindows95という古いシステム。メールはできても、cgi形式の書き込みに対応していなかったため、入力できなかった分である)

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2005/03/29

社史、思い出を誘うが、没個性的なもの

 長年働いた組織から社史が送られてきた。今年の10月、他の組織と合併して新組織となる。ほぼ50年の歴史を持つこの組織の看板を下ろすのを機に、最後の社史をまとめることにし、それが完成したようだ。日本におけるある分野の創始を担い、業界の発展とともに、縁の下の力持ち的な役割を果たしたこの組織の50年が集約されている。

 私は、退職を機に組織とは距離を置き、一個人に戻って、もう一つ別の人生を歩もうとしてきた。そのことは、HP本館のあちこちに書いたし、このブログのいくつかのエントリにも反映している。組織にいたことを過去のこととして、一市民としての立場で、この組織と業界を見て、発言したいと思ってきた。

 しかし、生涯の大部分を過ごし、働いた組織の歴史に目を通すと、さすがに懐かしい。自分史の一部が確かにそこにある。年表やさまざまな事業の総括を読むと、そのいくつかに自分が関わった足跡をみいだす。じじつ二つ、三つの大きな事業の創設に関わった。その発展の記録を見るのは楽しい。

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2005/02/24

年金生活者の確定申告

 所得税の確定申告は、会計計算に疎い老人には、けっこうきついものである。不慣れな作業で緊張を強いられる。準備からはじめると、ほぼ一日仕事である。郵送されてきたはずの源泉徴収票などを、もれなく取り揃えなければならない。しまい込んで見当たらないとあちこち探したりする。やっと見つけてほっとする。どこから手をつけたらいいのか、前年のことを思いだそうとする。「手引き」を解読しながら、ぽつりぽつりと計算する。間違えないように、2度、3度と検算をする。下書き用紙の欄をひとつひとつ埋めていく。仕上げたものを、もう一度間違いないか見直す。そして清書だ。さらに証明書の類を裏に糊貼りする。封筒に入れてポストに出しに行く頃には、鼻歌の一つも唄いたい気分だ。やれやれ、今夜は乾杯だぞ。

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2005/02/08

ニューヨークへ

 明日からニューヨークへ出かけてくる。「わが師、、白根元の死」(05/1/25)に書いた、師のメモリアル・セレモニーが開かれる。地球を半周するほどの遠くだが、この人あっての自分、といつも思っていた。お別れをしに、何をおいても行かねばならぬ気持ちである。白根さんがほとんど大部分の研究生活を過ごしたブルックヘブン国立研究所の、研究施設近くのセミナーホールで、セレモニーが開かれる。仕事場で、多くの同僚、世界中にいる共同研究者、育てて祖国に送り返した日本の研究者たちに囲まれて、最後のお別れの会が開かれるのは、白根さんにとっても本望だろう。

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2005/02/03

恵方巻きから,日本人の文化受容について考える

 今日は節分。今年は全国的に「恵方巻き」が大流行らしい。関東の辺地である水戸でも、スーパーやコンビニで、太巻き寿司を大々的に売り出している。つい2,3年前までは、関東にはなかった習慣だ。コンビニがはやらせたといわれるが、こういう慣習を、易々と受け容れてしまう日本人の習性が情けない。「俺は関東人だ、関西の、聞いたこともない変な縁起担ぎなどやれるか!」と反発する人はいないのだろうか。

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2005/02/01

70歳になった

 今日が70歳の誕生日である。70という年齢の実感は、今はほとんどない。これが70というものなのか、1年かけてじっくりと噛みしめてみようかと思う。

 60歳の還暦を迎えたときもそうだった。そのまま、老年の仲間入りをした60代を、さしたる自覚のないままに過ごしてしまった。そして今度は70である。60代の自覚の欠けていた人間が、どうして70であり得るのだろうか。

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2005/01/25

わが師、白根元の死

050125GenShirane 1月17日の夜、訃報が来た。白根さんが、数時間前に突然の脳卒中で亡くなったと。愕然とした。この人と出会い、鍛えられることによって、自分の生涯が決定的に変えられた。そのような人を「師」と呼ぶとすれば、私にとって唯一の「師」だった。

【左の写真はブルックヘブン国立研究所のHPから。1年ほど前、日本中性子科学会から贈られた、第1回功績賞を手にして】

 翌日の各新聞に載った訃報にはこうある。

白根元氏死去 米ブルックヘブン国立研究所主任研究員

 白根元氏(しらね・げん=米ブルックヘブン国立研究所主任研究員、固体物性物理学)米東部時間16日午後11時半(日本時間17日午後1時半)、脳内出血のため米ニューヨーク州ロングアイランドの病院で死去、80歳。神戸市出身。葬儀は家族だけで済ませた。

 47(昭和22)年東京大卒。東京工業大助手を経て52年に渡米し、米ペンシルベニア州立大助手。63年から現職。中性子による結晶構造解析や磁気構造解析などに従事した。米科学アカデミー会員で東京大、大阪大、東北大の客員教授。

 日本から米国への頭脳流失が問題とされた時代があった。日本の科学技術がまだ後進であった頃、日本の研究環境は貧しかった。研究費は乏しく、研究現場の活性度は世界の最先端からはほど遠かった。日本の優れた研究者は、米国の優れた研究環境に惹かれて留学し、そのままアメリカに居着いてしまうのだった。ちょうど今、プロ野球やサッカーで起こっているようなことが、科学の世界では4,50年前、起きていた。白根さんはその先陣を切った1人だった。

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2005/01/01

明けましておめでとうございます

 新春の目覚めは地震によってでした。5時15分、水戸では震度3。茨城県北部や福島県では、震度4のところもあったようです。災で04年が暮れましたが、今年も災が続きそうな予感がします。

 そんなことで、目覚めてしまってまもなく、出してなかった年賀状の山をワイフが発見。我が家の年賀状は封書で出します。年賀扱いにならないため、到着日ができるだけ元日になるよう、距離に応じて投函時間を分けているのです。袋に入れて分類してあった、その一つを出し忘れていたのでした。遅れを取り戻そうと、近所のポストではなく、市の中心部にある水戸郵便局にまで車を走らせました。

 水戸では昨日は雪ではなく、雨だったのですが、それが今朝の冷え込みでばりばりに凍り、道路はアイスバーン状態です。ゆっくりと車を走らせましたが、坂を降りきった交差点でエンジンブレーキを効かせたら、とたんにスリップ。車のアンチスリップ装置が働いて、ことなきを得ました。警報ブザーが鳴り、4輪のプレーキを独立に制御し、車体を正しい方向に維持してくれました。こんなことははじめてでした。

 どうやら、今年も多難そうですが、ブログはほどほどのペースで続けるつもりです。よろしくおつきあいください。

 なお、わがやの年賀状代わりの家庭新聞『てとら』05年号をHP本館のほうに掲載しておきました。読者にはこれで新春のご挨拶とさせていただきますので、よろしく。

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2004/12/24

年賀状の準備

 この季節になると、年賀状の準備と、宛名の印刷に忙しくなる。「筆まめ」の住所録をパソコン画面に表示し、訂正や追加をして、発送先を選ぶ。住所録にはおよそ400ほどの宛先がある。そこから年賀状を発送するのは200ほどだ。親しい友人、知人たち、あるいは指導を受けた恩師、もとの上司や同僚たちには、年一回のご挨拶は欠かせない。だが、出すか、出さないか、判断に迷う相手もある。

 以前何かのことでご縁ができ、年賀状を交換するようになった。その縁が実質的ではなくなっても、年賀状の交換だけは続いている場合がある。そろそろお終いにしようかと、こちらが出さないでおくと、先方から頂く。恐縮して返事を出したあと、こういう関係を大事にする方なのだと、次の年には忘れずに出す。すると今度は先方が外したらしい。こちらが出したものに遅れて返事が来る。そんなちぐはぐの関係で切れずにいる人がいる。今年はどうしたものか、悩んでしまう。

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2004/12/12

同期会に出て、人生いろいろを感じる

 高校同期生の忘年会があった。九州の高校だが、仕事や結婚で、東京やその近郊に住みついているものが多く、在京組同期会を続けている。毎月決まった日に、同じ場所で飲み会を続けている連中もいる。忘年会には30名ほどが集まった。表参道を全面ガラスの壁で見下ろすモダンな会場を借りて、イタリアンのご馳走にワイン飲み放題のパーティだった。酒とともに話が弾んで、今だからできる話というのがポロリと出た中で、驚かされたのは、若いころ左翼非合法活動に身を投じていたK君と、警視庁警官として彼を追う立場だったT君との因縁話だった。

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2004/11/26

『「石灰石」余聞』のA君、亡くなる

 「石灰石」余聞とは、HPの本館に昨年8月書いた一項目である。私のHPの読者の中にはご記憶の方もおられよう。そこに登場したA君の突然の死を知った。全くブライベートな話題だが、彼の死を悼んで彼との奇縁のことを書いてみたい。

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2004/11/25

柳原和子の、幸運な忘れもの物語

 トイレから新聞を手に、「あなたに似た人がいる」と、女房殿がニコニコしながら出てきた。この人は、トイレで朝刊をゆっくり読む癖がある。朝日新聞木曜日の「お金」欄に、柳原和子が、このところ連載している記事である。柳原は、医療問題を鋭い視点で書いてきたノンフィクション作家であるが、自らガンを患い、「ガン患者学」(中公文庫)などの著書で知られる。

 なるほど、「忘れ吻、落とし物の常習者である」という書き出しで記されている忘れもの歴は、私も脱帽である(私が忘れものについて前回書いたのは、帽子についてだった)。ある忘れものについての挿話がとてもいい。その部分だけも、朝日新聞を読まれない方に紹介したい。この記事(04/11/25)には。アサヒ.コムにリンクがないので、転載を許してもらおう。

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2004/11/21

忘れもの哀話

 忘れものについてのしょうもない話を一席。
  
 出かけようとして、帽子がないのに気がついた。格好を気にして外出するときには、かぶることにしているセーム皮のハンティング。色はダークグリーン。どうも帽子は身につかないたちである。頭を締め付けられる感じが好きではない。だからすぐに脱いでしまう。屋内に入れば脱ぐし、乗り物に乗っても脱ぐ。すると置き忘れる。これまで、いくつもなくしている。

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2004/09/19

あとしばらくOffは続く

 東京滞在は消耗の日々です。日中の蒸し暑さが、消耗に輪をかけます。用事のため半日足らず外出すると、あとは自宅でぐったりです。飲んで早めに寝てしまいます。すこし気力の残った時間をつないで、一つエントリを書きました。東京滞在はあとしばらく続きます。またOffに戻ります。あしからず。

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2004/09/14

しばらくOff

 しばらく東京で、例のごとく飛んだり、はねたりしてきます。落ち着いてものを考えたり、ブログを書いたりの気分になれないでしょう(たまにはノートパソコンにモデムをつないでアップするかもしれませんが)。9/23まではこのページはOffとご承知ください。

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2004/09/11

9/11と二日酔いの思い出

 3年前の9月11日の衝撃を、きわめて個人的な思い出とともに、鮮やかに記憶している。当日、9月11日一日を、私はそれまでに経験したことのないひどい二日酔い状態で過ごしていた。前日、すでに退職していた私に、以前の仲間からの誘いがかかった。みんなで久しぶりに集まって飲むのだが、銀座の行きつけだった飲み処へ出てこれないかと。ちょうど東京に出ていたのだが、音楽会へ行く予定があった。チケットを無駄にできないと、それを済ませて、遅くなってから飲み会に駆けつけた。座はすっかり盛り上がっていた。私は急ピッチで飲みながら、みんなの話題に追いつこうとした。いつのまにか、それは毎度のことだったのだが、私は誰彼をつかまえて、がんがん議論しまくっていた。そうなると、話のほうに夢中になってしまい、手はグラスを口に運ぶ自動マシンになってしまう。好みのワイルドターキーの水割りが、ひどく濃かったのをあとから思い出した。どういう具合に四谷の自宅に帰りついたのか、覚えていない。多分深夜の2時か3時、タクシーで送り届けられたのだろう。

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2004/09/05

裂織フェアでのみや

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8月25日のエントリに書きましたように、裂織フェアにパートナーのみやが参加しました。会場で開かれたファッション・ショーに、仲間の山本雅子さん製作のポンチョを着て、モデルをつとめました。詳しくはHP本館「『全国裂織フェア2004』に参加して」と題して書いています。

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2004/09/01

夏休みは終わった

 遊び人が夏休みなどというのはおかしいが、遊び人にも日常と非日常がある。今年の8月は、珍しく非日常が続いた。本日9月1日をもって、それも終わり、普通の生活が戻ってくる。デスクトップパソコンから離れていた。ダイアルアップ接続のノートパソコンでは、メールもブログも、そして画像処理もままならなかった。明日からは、パソコンの前で多くの時間を過ごし、本や雑誌を読み、何か考えをまとめるという、普通の生活が戻ってくる。

 蟄居に近い生活を離れて、あちこちに出歩き、人に会ったりすると、それだけ世の中が見えてくるかというと、かえってそうではない。自分の居所にいて、新聞や雑誌をじっくり読み、馴染んだブログを中心にネット上の情報に接している方が、持続的に世の中の変化が見えている。出歩いて、それらから断絶した生活をしていると、世界から遠くなる。

 非日常の日々を過ごして失っていたものを取り戻し、ネットの世界にできるだけ早く復帰したい。

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2004/08/25

裂織フェアの案内、ファッションショーにみや登場

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 私のHPの読者はご存じのことだろうが、連れ合いのみやは裂織をしている。古い着物を幅1センチ未満程度に裂いて、それを緯糸(よこいと)に、手織りで布やテーブルセンター、タペストリーなどを織る。今春の全国裂織展で入選を果たし、裂織作家の末席に連なっているようだ。今回、全国の裂織作家が自分の作品を展示し、販売する裂織フェアなるものが催される。3人の仲間と一つ店(ブース)を出すということで、この数ヶ月作品作りに専念してきた。紙をこよりにしてそれで織った小さなテーブルセンターを出品する。この作品作りの詳細はHP本館の方に書いてある。

 フェアそのものは、講演会や、裂織の衣装をまとってのファッションショーなどもあるようだ(詳細は以下の案内参照)。こともあろうに、みやは仲間に頼まれて、ファッションショーのモデルとして登場する。8月31日(火)一日だけのフェアで、ファッションショーは12時から12時半にかけてあるとのこと。みやをご存じの方はできたら、その時間にいらっしゃって、後にも先にもあり得ない、みやのモデルぶりをご笑覧いただきたい。私もカメラで記録するために会場にいる予定である。

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 上記案内はがきの左上にあるロゴは、みやの織工房に名前をつけ、図案化したものである。みやの本名は美耶子。その「美」をとり、「遊」ぶをつけて「美遊」と名付けた。読みとしてはしゃれてフランス語の"mieux"(ミユ。意味は「よりよい」)としている。

 フェア当日、会場では、多数のブースが出る。みやが出品しているのは、「サロマンブルー山・池・泉」という看板を掲げた17番のブースである。

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2004/08/18

東京は暑い!

 暑いのでしばらく遠ざかっていた東京へ出てきた。暑い。蒸し風呂状態、といいたいような湿気と暑さだ。ふだん住んでいる水戸は、朝夕は東京と比べて5度くらい涼しい。暑い夏だというが、クーラーを付けて寝なければならないほど暑い夜は、まだ2晩だけだ。昼の気温は東京なみのこともあるが、概して2,3度は低い。この差がとても大きい。特に今年のようにずーっと暑い日が続く酷暑の年だと、この差が大きい。水戸は「関東の東北だ」と、地元では、いささかの引け目を裏に秘めながらいう人もいる。しかし、東京から1,2時間の距離にあるこの地方都市に住めるありがたさを今年ほど感じたことはない。

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2004/08/04

中高年向きの携帯は?

 一昨日携帯を買った話を書いたばかりだが、今日(04/8/4)の朝日新聞生活欄「やさしい逸品」欄に中高年向きの携帯が紹介されている。先日のエントリへの Suto さんのコメントにあったドコモの F672i がお薦めだそう。この記事によると、携帯の普及率は20代、30代では9割、50代で6割、60代で3割だとか。

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2004/08/02

ケータイを買う

 いまどき携帯電話を買った話など、わざわざ書くほどのものではないだろう。しかし長年携帯なしでやって来た老年者にとっては,ちょっとした事件なのである。

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2004/07/20

フランス外資に転職した息子

 息子が転職した。どうなるかと少々心配したが、何とかやっているようで、とりあえず安心している。アメリカで教育を受け、英語についてはバイリンガルの子だが、こともあろうに、フランス外資の会社に転じた。ヘッドハントされ、パリにまで面接に行き、フランス語ができなくてもいいといわれて、決まったらしい。おまえの方が俺より英語は達者だ、英語で連絡を取り合おうと決まった相手の会社のお偉いさんから、毎晩電話がかかり、ビジネスの進み具合を訊かれるという。国際企業だから、英語が基本だが、時にはフランス語でメールが来る。本国での打ち合わせも英語だが、やはりフランス語ができた方がいい。でも忙しくて習得する暇がない、とぼやく。最初はそれでいいといわれたのに、費用をもつから、フランス語を至急マスターしろとプレッシャもかかってきているらしい。フランス人のガールフレンドを作るのが早道だねと、話したら、みんなからそういわれると、未だ独身の息子。

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2004/07/02

豪雨による新幹線運休体験談

 30日午前中、静岡県に集中豪雨があって東海道新幹線が5時間近く停まった。影響を受けた9万人の一人で、再開後東京駅発一番電車に乗ったものとして目撃談を書いてみる。こういう事態でのJR東海の乗客への対応が心もとなかったこと、乗客もそれぞれなりの自己判断をせまられた経験であったこと、などである。

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2004/06/24

見えすぎる話、本人登場

 Mamasan の「のんきな話」に返信したみやのメールです。「見えすぎるのも困りもの」につづく第3話となります。みやはアクの連れ合い。白内障の手術を受けた本人の体験談です。アクの「困った」には、反論はないようです。

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2004/06/18

見えすぎも困ったもの

 昨日から東京へ来ている。白内障の手術(両眼とも)を受け、眼鏡も作り直したばかりのワイフも一緒である。困ったことが起きた。見えすぎるのである。見えるものに、子供のように反応し、はしゃぎ、しゃべりまくる。私はこれには辟易してしまった。

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2004/06/09

東京暮らし、帰ってのリハビリ

  東京で数日を過ごし、水戸に帰ってくると、いつも一日はぼーっと過ごす。「リハビリ期間」と称して、大目に見ている。自分が自分に対して、大目に見る、とはおかしな言い方だが。私のHPにしばらくおつきあいくださっている方はご存じのことだろうが、仕事を辞めたあと、水戸を本拠地としながらも、東京に隠れ家を持ち、月に2,3回、7日から10日ぐらいをそこで過ごす。音楽会や展覧会、いろんなつきあい、写真・街歩きなどのグループ活動への参加など、さまざまな目的がある。だが、根本には、東京という街が好きなことがある。

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