2009/03/31

北ミサイルへの過剰な反応

 北朝鮮のミサイル発射に備えて、東京都心のど真ん中、市ヶ谷にPAC3ミサイルが配備された。「万が一」とはいえ、いざとなれば、ここから迎撃ミサイルが発射される。どんなものか見たことはないが、テレビで放映される画面を見ると、発射されたら、轟音が鳴りとどろき、火炎と煙がたちこめる。何発もの迎撃ミサイルの実弾が都心のビルや住宅の密集する街の上を飛んでいくことになる。【09/4/02追記あり】

続きを読む "北ミサイルへの過剰な反応"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006/08/06

思い出した、日本兵髑髏写真

060807scull
 米軍兵士が日本兵のドクロをガールフレンドに送った。それを机上の置物にして、礼状を書いている写真。小学校4年か5年だった私は、これを見たのを覚えている。アメリカ人は、なんとむごい。これは人間のすることじゃない。当時私の父は招集され前線に出ていた。いつ戦死の報があるかも知れなかった。日本兵の遺体をこのように扱うなどとんでもない。鬼畜米英って、ほんとだな。必ず仇をとるぞ。いっぱしの軍国少年だった私は、学校の廊下の掲示板に張られていたこの写真(新聞のほか、週間グラビア・ニュースとして配布されていたのだと思う)を睨みながら固く誓ったのだった。そんなことがあってしっかり覚えていたこの写真が、なんと先日の朝日新聞に、そっくりそのまま出ていた(7月14日)。もともと掲載された新聞の日付は、昭和19年(1944年)8月11日。終戦のほぼ一年前だ。タイトルは右から読む。「屠(ほふ)り去(さ)れ、この米鬼」と。ほかにもう一枚、日本兵の骨から作ったペーパーナイフを使っている写真も、掲示板で見たのを覚えている。

続きを読む "思い出した、日本兵髑髏写真"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/12/26

天皇の太平洋戦争についての発言

 天皇誕生日に行われた記者会見での発言は、マスコミでは小さな扱いだったが、記憶にとどめておきたいと思い、ブログに書くことにした。女系天皇問題を問われて「回答を控えようと思います」と答えたほど、公的な場での発言に慎重な天皇が、サイパン島を慰霊訪問したときの気持を語ったあと、「過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは、日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」と言われた。天皇があの戦争の歴史認識を正しく持った上で、この問題についての最近の対応への危惧を、慎重な表現がら言外ににじませていると感じた。同世代を生きたものとして、深く共感した。できることなら、小泉首相にも、この言葉をじっくり読んで、その行間を読み取ってほしいと思った。

続きを読む "天皇の太平洋戦争についての発言"

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2005/10/23

小泉首相の「心ならずも」発言

 小泉首相の靖国神社参拝の是非について、世論はほぼ2分されている。リトマス試験紙で、酸性かアルカリ性かを判別するように、この問題の是非の判断が政治的意見を分けている。私は、このリトマス試験紙の代わりに、別の試験紙を提案してみたい。小泉首相は参拝後、くりかえし「心ならずも戦地におもむき、命を捧げられた方を、衷心から追悼する」と言っている。この発言の趣旨を是とするかどうか、そこを分極点として、世論を分け直してみたらどうか、である。

続きを読む "小泉首相の「心ならずも」発言"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005/08/15

無駄死にだった大多数の戦死者(元将校からの聞き語り1)

 太平洋戦争で、200万人を超える兵隊が死んだ。その大半は無駄死にであった。犠牲者をできるだけ出さないよう戦う、という方針は、当時の軍隊になかった。兵力の差から、到底勝てっこない、無謀で無策な戦闘を、敢闘精神だけを頼りに、やみくもに推し進め、戦死者だけを増やした。最後の一兵まで死守せよ、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」、むしろ自決せよ、が、命令だった。

 ビルマ戦争に従軍し、からくも生き残ったO元少尉は、現在83、4歳。「生き残り症候群」になやまされ続けてきた。元気でいるうちに、自分の経験したビルマ戦争の真実を語り伝えたいと、私と会うたびに断片的にあれこれ話してくれる。今日は終戦記念日である。Oさんから聞いたことから、ひとこま書いてみよう。

続きを読む "無駄死にだった大多数の戦死者(元将校からの聞き語り1)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)