2008/06/29

3度目の「岩波『哲学』講座」を手にして

 岩波書店が、また『哲学』講座を出すという。いまさら、こんなものを読むか、と自問自答して、しばらく躊躇した。しかし、第1回配本の「心/脳の哲学」のいくつかの論考に惹かれて購入することにしてしまった。書棚のたんなる置物となることは分かっているし、蔵書として持っていたところで、今後活用する機会もあまりないだろう。なにしろ年なのだから(後期高齢者、目前である)。それだのに手を出してしまうところに、自称「教養人、書斎人」、哲学ディレッタントの弱みがあるのだろう。

 これまでさまざまな哲学書を囓ってきたなかで、哲学が自分に何の最終解答を与えてくれない、その意味では無用なものであると、とうに結論を出している。これは私の独りよがりではない。哲学者自身もそのようにいっている。ニーチェが哲学の終焉を宣言し、ローティは体系としての哲学の役割は終わった、ありうるのは文芸批評と同じ役目、思想の解釈学だけだという。デリダは、(読んでいないが)哲学の脱構築を唱えた。自分としても、そのような文脈の中に哲学を位置づけているのに、なぜ今さら全15巻の「哲学講座」なんだ。何でそんなものに手を出してしまったのか。ほんと、自嘲気味である。

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2007/07/03

ハーバーマスのローティへの悼辞から

 リチャード・ローティが亡くなったことについては、先にちょっとだけ書いた。75歳での死。思想家として、もっと長く生きて、語り続けてほしいと思ったが、彼はすでに語るべきことは、語り尽くしたのだろうと、そこでは書いた。しかしここ何年か、私が物事を考えるさいの「導師」ともいえる存在だったこの人の死について、改めて何かを書いておきたいという気になった。そう試みているうちに、私が駄文を書くよりも、ドイツの思想家ユルゲン・ハーバーマスが書いている追悼文の抄訳と紹介をしたほうがよかろうということになった。以下がそれである。

 すい臓癌だったという。そのことをすでに1年前に彼は知っていた。思想的に同志でもあり論敵でもあったハーバーマスに、そのことを電子メールで打ち明けていた。ハーバーマスは、彼に対する追悼辞 "Philosopher, poet and friend" の中で、そのときのメールを紹介している。ローティは、スタンフォード大学教授を辞めることにした。戦争好きの大統領に腹が立ってせめてもの抗議のつもりだと、その趣旨をいつもの辛辣な口調で綴ったあと、突然、思いがけないことが書いてあった。

「おお、デリダを殺したのと同じ病気にかかってしまった」と。
そして「この種の癌は、ハイデガーの読み過ぎが原因よ」

と娘からいわれたと冗談ぽく付け加えられていた。ハイデガー好きの方、ご用心!

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2007/06/19

ローティとヴァッティモの「弱い思考」、そして「宗教の未来」

 一冊の書物がある。読み終えたばかりだ。それについて何かのまとめをここに書こうとする。しかし始めて見ると、何かを書けるほどの理解に達していないことに気づく。もう一度丹念に読みなおす。さらには周辺に拡げてみる。関連したいくつかの論考などを、雑誌やネット上に見つけて読むのだ。それでも、やはり書くモティベーションが高まってこない。これは書けそうもないな。あきらめるか。でもこの山を越えないと、ほかに何もできそうにない。精神的窒息状態というか。頭のなかのパイプにプラグが詰まった感じで、それをなんとか抜かないことには、どうにもならない。そんな状態にときどき陥る。何かをブログエントリ上に排出しないことには、前に進めない。そんなエントリが、私のには、ままある。読者には申し訳ないが、自分のためのガス抜きである。これもそれになるだろう。

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